秋田県男鹿(おが)市に本社を置く「株式会社清水組」は、建設業を事業の柱として明治から今日まで116年続く歴史ある会社。建築・土木といったインフラの整備から、不動産業や内航海運まで多岐に渡る事業を展開しています。道路などのメンテナンスのほか、県や国と防災協定を結び、豪雪や災害の際には土木業界の人材と機材でわたしたちを助けてくれる強い味方です。
そんな清水組の5代目は「清水隆成(しみずたかあき)」さん。事業を承継したのは2019年4月、令和を迎える直前でした。
清水さんにバトンを渡した先代は、4代目の清水重輝(しげき)さん。清水さんは父親でもある先代から「ずるいことをするな」と強く言われて育ったそう。「自分勝手をするな」「騙すな」「筋の通ったことをしろ」という先代の言葉は、清水さんの人生に強く影響しました。
承継を決めたきっかけは、先行きが見えたからだと思う
清水さんは長男ですが、将来家業を清水さんに継がせるかどうかは約束されてはいませんでした。幼い頃から祖母に5代目になるものと言われて育ち、継ぐ意識はあったものの、3代目である祖父は優秀な従兄弟の女の子に継がせてもいいと言っていたそうです。
大学を卒業後、清水さんは父親から紹介された県外の建設会社で経験を積み、清水組に入社します。しかしその頃、建設業は1992年をピークに年々縮小される建設投資額の影響により、全体が大きく傾いていました。もちろん清水組も同様でした。
清水さん「継いだタイミングというか、きっかけは業界の先行きが見えたから、先代はゆずってくれたのだと思います。1992年以降、建設投資が一気に縮小されてから建設業界は暗黒時代でした。それが一山超えて、仕事量が確保できはじめて余裕が出てきたんです」
財政再建と構造改革の名の下に、不要なものはできるかぎり削減しようという方針で、清水組が行うインフラ整備を含む公共事業は重要視されていませんでした。そして、2011年3月11日に東日本大震災が起こります。
清水さん「震災前にもトンネルの天井が落ちてきたり、橋の走行車線が落ちたりという事例が発生していたのですが、震災が決定打となり、公共事業の削減は再考されることになりました」
インフラは本来、定期的なメンテナンスが必要であること。適正に補修ができれば社会全体の負担が少なくなること。人を守る構造物を造るべきであること。地震が社会に与えた影響は大きく、構造物のありかたについても世間に広く理解されることになりました。
清水さん「あと1年暗黒時代が続いていたら、人も機材もなくなり、各地を復興できる会社は消えていたかも知れません」
社員の反応は変わらないが「社長の言葉」は重みが違う
清水さんはいずれ清水組を継ぐと考えながら、入社から10年以上かけて自分の居場所を作ってきたそうです。
清水さん「社員も、社長の息子である私が入社した時点で、この人が5代目になるんだなというイメージはあったと思います。だから社員の反応はあまり変わりませんでした。ただ、社長になってから社員が話を聞いてくれていると感じることが増えたので、やはり社長になると言葉の重みが違いますね」
社長になってからも、社長室ではなく社員みんなと同じ部屋で仕事をすることにし、縦割りになりがちな営業と現場の関係性を改善。入札前からコミュニケーションが取れる環境づくりに力をいれました。
清水さん「社内に工事のプロはたくさんいるから、わたしの経験や技術じゃとても敵わない。だけど、社内には私にだからできることがあると気づきました。こういった考え方は、今の清水組での育成や採用面、社員に対する姿勢にも通じているんです」
100年を超える歴史の一部を担う組織を受け継ぐということ
清水さんは事業継承について、先代の作ってきた関係性やブランド力を引き継げるのは圧倒的なメリットだと語ります。
清水さん「普通の同じ年代よりもまともに相手をしてもらえるんです。後継者というのはメリットしかありません。
事業承継は、自分1人ではそう簡単に築けない規模と売り上げ、スタッフを持った状態で事業に取り組める“組織をもらう”ということです。100年続く歴史の一部を担い、次の世代に良いかたちでバトンを繋げる。とてもやりがいがあると感じています」
時代の変化に敏感に、次の世代にバトンをつなぎたい
20年にも及ぶ公共事業削減の影響は、清水さんが代表になってからも大きくのしかかります。業界全体の問題でもあるのですが、本来主力となる30代、40代の人材が不足していたため、現在、清水組では採用や人材育成に力を入れています。
清水さん「若手とのジェネレーションギャップを埋めながら、技術も伝えていかなければなりません。そのためにも働きやすい環境を目指しています。社員が休みやすいように、私が率先して土日を休みにすることも時には必要だと思っています」
「清水、秋田にすげえ奴が行くぞ」
清水組の女性登用の始まりは、清水さんが以前働いていた会社からの一本の電話でした。
清水さん「突然、元上司から『清水、秋田にすげえ奴が行くぞ』って電話が来て。土木一級を持っている女性技術者が、結婚していま秋田に行くって言うんです。面識がなかったので、是非紹介してほしいと伝えて会いに行きました」
聞けばこの女性も震災の影響を受けた一人で、もとは地元岩手で建設業に従事していて、結婚を機に秋田に移ってきた方とのこと。清水組に初の女性技術者が誕生することとなりました。
清水さん「うちの会社に女子いるよ、女性も現場やれるんだよとアピールしました。おかげでいま新卒2人とあわせて、今3人の女性が現場でやってます」
この女性技術者の方は、その後旦那さんの転勤で仙台に移住、すでに秋田にはいません。しかし清水組にとって大きな躍進、女性採用の足がかりとなってくれました。会議室の壁一面にあるのは取り扱う技術や免許、女性進出や男性の育児休暇取得、さらには人命救助まで、県や国から認められた表彰状の数々。事業そのものだけでなく、企業活動と地域が一体となり、広く社会に貢献してきた歴史を物語っています。
地域に根付く企業。若者が活躍できる企業を目指して
清水さん「誤解されることもありますが、建設業は閉ざされた専門の場所ではありません。門戸は広く、文系もいれば女性もいます。実は修行期間があるわけでもなく、役割分担が可能で、若者が活躍できる業界になってきているんです」
人材の確保や育成に力を入れているなか、若手に「自分にも貢献できる」と自信をつけてもらいたいと語る清水さん。パソコンや新しい機械は若手に、経験が必要な仕事はベテランに任せるといった役割分担が重要だそう。
清水さん「自分は6代目にバトンをつなぐ役割だと思っています。この仕事は無くならないけど、時代に合わせて変化させていかないといけません」
時代の流れに翻弄されながらも、地域にとっての雇用の場、経済を回す場として大変な時期を乗り越えた清水組。これからも地域に、そして時代にあわせて柔軟にかたちを変えながら進化し続けます。
文・ひざに矢緒