事業承継ストーリー

観光のプロが海産物屋を「海鮮丼屋」にリニューアル。地元客を取り込み、市場の活性化を狙う

札幌市の地下鉄大通駅のほど近く、海産物の老舗店が立ち並び、朝から威勢のいい声が飛び交う「さっぽろ二条市場」。明治初期に開設して以来、観光客だけでなく地元民にもよく知られた札幌市民の台所です。

「旅行会社ブルーツーリズム北海道」を経営する浦口宏之さんは、2018年2月に「海鮮丼屋 小熊商店」を市場に開店しました。浦口さんは旅行業の傍ら、今でも看板が残る先代のお店「小熊商店」で働き、屋号と店舗を譲り受けて海産物屋から海鮮丼屋にリニューアル。観光客のみならず、地元の方も広く訪れる人気店です。先代から続く海産物屋から事業内容を変更した経緯、異業種だからこそ活かされているアイデアを伺いました。

前職の会社が倒産、突然の独立。アルバイトの求人が運命の出会いに

浦口さん「私は現在、旅行会社社長と飲食店のオヤジという2つの顔を持っています。二条市場は観光客が多く、旅行会社とも関連があるので『事業拡張の一つとして飲食店経営に乗り出したのですか?』と尋ねられることが多いですが、まったく関連はありません。先代、小熊商店の大将との出会いは偶然であり、事業承継は運命的なものがあったかもしれません」

浦口さん「私が旅行会社を立ち上げたのは2013年のことです。それまで勤務していた旅行会社が倒産し、意を決しての独立でした。しかし最初から順風満帆とはいかず、営業活動をしても思うような収益が得られません。とはいえ家族を養わなければいけなかったので『アルバイトでも何でも』と思い立ち、目に留まったのが小熊商店の短期アルバイトの求人でした。

当時の小熊商店は、高齢の2代目の小熊優さんがほとんどひとりで切り盛りされていました。年末がかき入れ時で、新巻き鮭をさばける人を募集していたんです。私は釣りが趣味で魚をさばくことも得意だったので、さっそくアルバイトに応募しました。『若い人が来てくれた』と、喜んでくれた小熊の大将の笑顔が昨日のことのように思い出されます。それがきっかけで数年間、旅行業と海産物屋の二足のわらじを履き、勉強することになりました。

一度は卒業した小熊商店、ふと訪れたことで事態は一変

浦口さん「毎年、年末になると小熊商店に手伝いに出向いていましたが、旅行業が軌道に乗り始め、次第に両立が難しくなりました。アルバイトをはじめて5年ほどで、『本業に注力したい』とお願いして海産物屋を卒業。その後は小熊さんと会う機会も減り、本業で忙しく過ごす日々が続きました」

2017年の年末。浦口さんは「母親に新巻き鮭をお歳暮に贈ろう」と小熊商店に立ち寄り、それが今回の事業承継のきっかけだったと言います。。久しぶりに再会した小熊さんは痩せこけて疲れ切った様子。以前のような威勢はなく、医者嫌いな小熊さんを周囲が説き伏せて病院を受診すると、がんが発覚。すでに病状は進行していて、余命幾ばくもない状態だったそう。

浦口さん「小熊さんのお店に後継者はおらず、このまま看板をおろすのは時間の問題でした。『もう店を畳まなくてはならない』という小熊さんに、思わず『店を継がせてほしい』と申し出ていました。突然のことで、事業に対するビジョンなどありませんでしたから、今になって冷静に振り返ってみると『自分が継承しなくてはならない』と咄嗟に思ったのかも知れませんね」

二足のわらじと5年の月日が生んだ、歴史ある市場へ新規参入

浦口さん「事業承継を申し出てから、ほんの10日ほどだったのですが、小熊さんは息を引き取りました。小熊さんの奥様の承諾を受け、すぐにテナント契約の名義を変更。歴史ある二条市場への新規参入は難しいはずですが、長年のアルバイト経験のおかげで理解を寄せてくれる方が多く、スムーズに話が進みました。

事業を承継するにあたって、海鮮物屋から業態の転換を考えていました。さっぽろ二条市場には外国人観光客が多いにもかかわらず、多くの店主は海外に海産物を土産として持ち帰れないことや、外国語で伝えなくてはならない手間から、外国人を避けているように感じていました。持ち帰りできない海産物より、その場で食べることができる飲食店のほうが需要があると判断して、海鮮丼屋に変更したいと小熊さんの奥様に相談すると『頑張ってね』と快諾いただきました。『店の名前も変えていいよ』と気遣ってくれましたが、小熊さんに敬意を表して屋号はそのままにしてあります」

浦口さん「さらなる壁は資金調達でした。旅行業はやっと軌道に乗ってきたところでしたが、飲食店の改装にまで回せる余裕はありません。業務支援してくれているバス会社の社長に相談したところ、心意気を買われて資金援助して頂けることになり、釣り仲間でもある建設会社の社長の協力もあってスピーディーに改装を進めることができました。知人の板前さんを板長に迎え、妻も接客を買って出るなど、心強い味方が集結してくれました。たくさんの人たちの協力なくしてはスタートを切ることはできなかったので、今もなお感謝しています」

旅行業のノウハウで新規獲得。功を奏した業態転換

お店を切り盛りするのは奥様。SNSを使ったPRにも力を入れてくれているそう

浦口さん「小熊商店を承継することが決まってからわずか1か月あまり、さっぽろ雪まつりの開催初日だった2018年2月5日に海鮮丼屋としてオープンしました。異業種からの参入に冷ややかな視線を送る人もいましたが、私には旅行業で培ったインバウンドに対するノウハウがありました。

まずは外国人観光客を取り逃がさないためにも、スタッフには外国語に対応できる教育を行いました。また、量と種類で勝負する海鮮丼屋が多い中、『外国人観光客は食べ歩けるメニューを好む』『ひとつのものでお腹を満たすよりも少しずつ色々なものを食べたい人が多い』といったこれまで培ってきた経験と知識を活かして、少量で安価な海鮮丼をメインにしました」

浦口さん「開店当時の板前さんも、2年前に同じ癌で亡くなって、私が厨房に立って腕をふるっていた時期もあります。アルバイト時代に培った技術と、手取り足取り指導してくれた先代の板前さんの魂を頼りにして。お客さんの反応がじかに伝わってありがたかったですし、中には今後の事業展開の参考になるような貴重な意見をくれる人もいました。

観光シーズンから外れる4月は市場も閑散としています。しかし、店を切り盛りする奥様がSNSなどを駆使して「映える海鮮丼」を公開。その反響はかなりのものだったそう。

浦口さん「『手ごろな価格で海鮮丼が食べられる』と評判になり、徐々に女性客が増加。テイクアウトも開始したことで、客席数が少ないデメリットもカバーできました。夏になると、ウニなどの利益率が高いメニューが売れ始めたり、有名スポーツ選手が来店してくれたことが宣伝となり、一時は驚くほどの月商を達成するまでになりました。思ってもいない結果に私自身が一番驚きましたね」

2020年の客足ストップ。隠れたニーズはすぐそばに

順調に進むと思えてきた矢先、新型コロナウイルスの感染拡大によって飲食店である小熊商店も苦境に立たされます。札幌市が緊急事態宣言を発令すると、外国人観光客だけでなく、道外からの観光客も姿を消し、市場はこれまでにないほど静まり返っていたそうです。

浦口さん「旅行業と飲食業、どちらも減収の往復ビンタです。しかし観光客が消えて気づいたこともありました。これまではさっぽろ二条市場へ来る人は観光客ばかりだと考えていましたが、手ごろな価格で海鮮丼を提供したことで、地元の需要があることが分かったんです。ランチメニューを増やし、デリバリーサービスによる宅配にも力を入れることで地域に根ざした展開を始めました。海鮮丼が食べたいのは観光客だけではなかったのです。ピンチに嘆くのではなくチャンスに変えることで、新たな道が開けることを実感しました。

感染収束を願うばかりですが、これからは海外と国内からの観光客に加えて、地元客も含めた新しい商売の形を模索していくつもりです。観光に精通した海鮮丼屋として、二足のわらじが活かせる部分はまだまだあると思います」

「先代から続く灯を消したくない」との思いで事業を承継し、逆境をチャンスに変えて、新たな客層を開拓する新生・小熊商店。異業種から参入することで活かせるアイデアは多く、時代や環境に柔軟に対応していくことが大切だという浦口さん。異業種から参入した「海鮮丼屋 小熊商店」が、市場の活気を担っていく日も近いかも知れません。

文・吉田匡和

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