事業承継ストーリー

親への反抗、海外一人旅を経てたどり着いた無農薬栽培への道。農家は「究極のサービスマン」

近江の専業農家の五代目「お米の家倉」の家倉敬和(やぐらたかかず)さんは、突然農家を継ぐことに。思いがけず渡されたバトンに最初は戸惑ったという五代目が、両親への反抗、海外一人旅、そして新たなる挑戦を経て、たどり着いた農業への想いを伺いました。

親への反抗、そして海外一人旅

現在は農家の5代目として日々地の味を追求するお米づくりに邁進されている家倉敬和さん。元々は実家である農家を継ぐ気はなかったと言います。

家倉さん「農業を継ぐつもりはこれっぽっちもなかったんですけど、大学3年の冬、ちょうど就職活動が始まる時期に、実家から電話がかかってきて『帰ってきてくれ』と言われました。ちょうど父が体調を悪くしたことと、実家が専業農家で規模が大きく、母一人ではできないことはわかっていたので、帰ることを決めました」

急に決まった農業を継ぐ道ですが、かと言って他にやりたかったことが明確にあったわけでもないと言う家倉さん。ただやってみたいことはありました。

家倉さん「大学のころ、カフェのアルバイトでお客さんに喜んでもらうことが、自分自身の大きな喜びになることに気づいて。その経験があったので、仕事をするなら業種に関わらず、究極のサービスマンになりたいと思っていました」

そんな家倉さん、実は継いでから一年間はなかば嫌々農業をやっていたと言います。そのため、親から怒られると反抗するようなこともありました。「最低最悪だった」とご自身で振り返る経験で、このままでは自分がダメになると感じ、海外への一人旅を決心します。

「どんなお米作ってるんですか?」に答えられなかった自分

「お米の家倉」5代目の家倉敬和さん

海外への一人旅は文字通り、家倉さんにとって本当の意味で人生の転機となりました。

家倉さん「一人旅でユースホステルで出会った日本人の学生さんに仕事を聞かれたので『お米を作ってる』と答えたら、『どんなお米作ってるんですか? ぼく、お米大好きなんですよ!』と言ってくれたんですけど、『う〜ん、、コシヒカリ…』としか答えられませんでした。

その情けなさと悔しさと恥ずかしさから、戻ってからは俺はこんな米を作っていると胸を張って言えるようにしようと決意しました」

一人旅から戻った家倉さんは無農薬栽培の米作りを始めます。家倉さんが無農薬栽培に関心を持ったのはご自身が米づくりを手伝っていた過去の経験からでした。

家倉さん「学生のころも長期休暇のタイミングで実家に手伝いで帰っていました。農薬や化学肥料で作った一年目のお米を学生時代の友人に食べてもらっても、『おいしい』と言ってもらえなくて。農家なのにおいしいお米を作れないことに情けなさを感じたんです」

「どうしても無農薬栽培をやりたい」初めての自分の意志

これまでの経験を踏まえ、生き物が死なない無農薬栽培に活路を見出そうと、家倉さんの奮闘がはじまります。そのためまずは両親を説得する必要がありました。

家倉さんの両親はもともと農薬や化学肥料が普及する前の農業がきつかった時代を経験しているので、これまでよりも労力が掛かってしまう無農薬栽培農法には否定的でした。

家倉さん「これまで農業に関して意思を示すことがなかった中で、どうしても無農薬栽培をやってみたいと、初めて僕がやりたいことを伝えたので両親も少し驚いた様子でした。根負けした両親が、じゃあまず1枚(田んぼの単位)だけやってみということで、無農薬栽培に取り組むことが出来ました。

農地も管理する農地がまとまっているわけではないので、隣はAさん、その隣はCさんのように相互に田んぼが点在するなかで、地域の理解を得ることも必要でした。無農薬栽培をする田んぼは集落から離れた場所にしたり、どんな土質が適しているのかを試していってたりして、失敗から何がポイントかを掴み、無農薬栽培に向いた田んぼや技術を手探りで探していきました」

無農薬で作った一年目のお米を持って、家倉さんは意気揚々とお米にこだわっている地元の飲食店さんをターゲットにして営業まわりをはじめます。

家倉さん「一年目はサンプルを持っていっても反応がありませんでした。無農薬栽培二年目も営業周りをしたときに、あるこだわりのある会席料理を出す飲食店さんが『この米、めっちゃええなあ。すぐ持ってきてくれ』と言ってくれました。

『炊きあがりのつやから、お米の粒感、甘さが最高やわ』と感動してくれて。そこからこの方向性で間違っていないと自信がつきました」

本当に事業承継をしたんだと実感した瞬間

家倉さんの両親は背中を見て、目で盗んで学べというような基本スタンスでした。

誰よりも手間を惜しまず、こつこつと積み上げていくことで、地域の信頼と取引先の信用を得て基盤を築いていたことに家倉さんは気付かされたと言います。そしてあるタイミングで、本当の意味で事業承継を実感します。

家倉さん「家を継いでいま18年目なんですが、10年目を越えたころからそれを強く感じるようになりました。特に5年前の収穫時期に父と母が同時に体を悪くしたときがありました。

当時社員がいたものの、両親も大きな戦力だったので、いきなり二人が戦力として見込めない事態に直面したときに、二人の偉大さをめちゃくちゃ感じました。

自分では出来ていると思っていたんですが、いてくれるからの安心感を感じました。そこから二人が築いてきてくれた基盤をいい形で未来に繋いでいくぞって覚悟ができたかなと。そこが本当の意味で事業承継のタイミングだったと思います」

人に求められることに喜びを感じるのは、家倉家共通

両親の体調不良が重なったタイミングで、定年退職された方や子育て中の主婦の方にも助けてもらう体制に家倉さんはかじを切ります。それまでは家族で孤高な仕事をしているイメージがまわりからあったようですが、いろんな人に助けてもらうことで家倉さんの農園はにぎやかになりました。

家倉さん「両親はぶつくさ言いながらも嬉しそうな感じがありました。農業体験とか、子どもたちや同年代のひとが遊びに来れる農業体験を十数年前からうちではやっているんですけど、もくもくと仕事をしている両親が、人が来てくれると僕には見せてくれないような笑顔をめっちゃ見せてくれるみたいで。人に求められるとか人に喜ばれることに喜びを感じるのは家倉家共通だと感じました」

結局、農業が好きだった

あれだけ農業をやりたくなかった家倉さん。いつの間にか農業をすることが何よりもやりがいになっていました。

家倉さん「僕は農業はやりたくないと言ってたんですけど、やってみたら農業はおもしろくて、米作りも営業も経営も何でも自分で考えてやらないといけないんです。

しかも職場が大地で、コロナ禍で業績への影響はもちろんありましたけど、働くという点では、これまでと同じように外に出て仕事が出来ることが本当にありがたいし、ストレスなく仕事が出来ているので、自然のなかで仕事をすることが好きなんだと感じました」

食の欧米化や糖質制限など、いまお米を食べる人が減りつつある現状に家倉さんは危機感を抱いています。その中で家倉さんがお米づくりに注ぐ想いがあります。

家倉さん「僕自身はお米が好きで、お米が作り出す米粒だけじゃない田園風景や、自然や人と人を田んぼでつなげたり癒やされたり、米作りを通して人に喜んでもらえることが、一番の醍醐味であり、やりがいなので、田んぼを耕し続けたいですよね。

時代とともに求められるものは変わるので、絶対これに固執するだけでは生き残れない。変化しながら作り続け品種を変えたり、食べるお米はもちろん、酒用や米粉にするとか、いろんなかたちに変えてお米を食卓に登場させていきたい。食べてくれる人がいてこそのお米づくり、そして田園風景。選んで、食べて、農家を応援してください!」

思いがけず家業を継いだ家倉さん。仕事に打ち込んでいるうちに農業の面白さを自ら実感し、今ではお米の美味しさを積極的に発信されています。

文・望月大作

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