山形県米沢市・米沢スキー場に隣接する宿「ペンションおもちゃばこ」。この宿はオープンから約40年、東北でいち早くペット同伴で宿泊できるサービスを取り入れ、多くのリピーターに愛されてきました。
「自分でもペンションをやってみたい」
前オーナーの働き方を見てこう思い、ペンションを引き継いだのは元常連客の佐藤大祐(だいすけ)さんとその妻・紋加(あやか)さんです。もともと新聞社に勤めていた2人は、夫婦で移住してペンションを事業承継します。
結婚とほぼ同時に、前オーナーから事業を引き継いだ大祐さんと紋加さん。2人でペンションを引き継ぐ経緯や、大変だったこと、よかったことを伺いました。
先代の働き方に憧れて。引き継ぎを志した常連客
山形県と福島県の県境付近に位置する米沢スキー場は、観光客はもとより地元のファミリーにも人気のスポット。近隣にはゴルフ場やテニスコートもあり、さまざまなレジャーが楽しむことができます。
スキー場の敷地内には、ペンション村「キラキラ王国」が形成され、現在9軒の宿が営業中。大きなウッドデッキが目印の「ペンションおもちゃばこ」は、近隣では数少ないペット連れOKの宿であり、アットホームなおもてなしが自慢です。
2018年に2代目オーナーとなった佐藤大祐さんも、実はそんなおもてなしに惹かれたひとり。趣味のスノーボードをするために泊りがけで訪れるうちに、自分でもやってみたいと思うようになりました。
大祐さん「前オーナーも奥さんとふたりでここを経営していたのですが、いつも楽しそうに仕事をしていて。それまで仕事は辛いことを耐えながらやるものだと思っていたので、こういう働き方もあるんだなと新鮮に感じたのを覚えています」
新聞社を退社して、1年かけて事業承継
その頃、前オーナーは70代前半でしたが現役バリバリ。ですが、将来的にどうするかは決まっておらず、大祐さんは会話の中でペンションの未来への不安を垣間見たそうです。そこで、大祐さんは宿を引き継ぎたいという思いをまっすぐに伝えます。
大祐さん「最初は『冗談でしょ?』みたいな感じでしたが、その前からここをどうするかとか早く引退したいといった話題は雑談の中でしていたので、それがあっての申し出ということは伝わったようです。戸惑いながらも最後には了承してくれました」
驚いたのは妻の紋加さん。当時は大祐さんとは交際中でしたが、「そんなことを考えているとは知りませんでした」と笑います。ですが、決断を受け入れ、一緒にがんばっていこうと心を決めました。
紋加さん「ふたりとも福島県出身で、夫はともかく私は宿にも米沢にも来たことがなかったんです。なので、まずは来てみて実際に仕事を手伝わせてもらったりしながら、宿の仕事を学んでいきました」
事業承継を決めてすぐ、大祐さんは勤めていた新聞社を退職。前オーナーから建物を家財ごと買い取るかたちで手続きを進め、1年後の2018年10月に「ペンションおもちゃばこ」の2代目オーナーとして新たな道を歩み始めました。
資産の譲渡後は、1ヶ月の引き継ぎ期間があり、前オーナーが一緒に暮らしながら、宿の仕事を教えてくれたそうです。
新聞社での経験を活かしてペンションの体験で朝刊作り。2人らしいサービスに昇華
「ペンションおもちゃばこ」は全9室の宿。浴室以外は共有スペースも含め、どの部屋でもペットと一緒に過ごすことができます。大祐さんは名前はもちろん、そんな前オーナー時代の宿の方針もそのまま受け継いでいます。
その理由は「オーナーが変わったことで常連さんに離れてほしくなかったから」。この場所が好きで長年足を運んでくれる方を大切にしたいという思いがありました。
その一方で、自分たちらしく変えた部分もあります。ひとつはお料理。以前はコース料理のみの提供でしたが、名物の米沢牛を使ったステーキや焼肉、すき焼きなどさまざまなプランを用意し、お客さんに選んでもらえるようにしました。素材にもこだわり、地元米沢の旬の野菜やフルーツ、山菜を取り入れ、お米は紋加さんの実家で作っているものを出しているそう。
ラウンジには物販コーナーを設け、大祐さんの母が製作したエコクラフトなどを販売するようになりました。また、前職の新聞社の経験を生かし、始めたサービスが“朝刊作り”。お客さんごとに夕食の風景を写真におさめ、会話の内容などを折り込みながら小さな新聞を製作。翌朝、朝食のテーブルに配ります。旅の記念になるうれしいサプライズに、感激するお客さんも多いと言います。
紋加さん「次はこうしたら面白いんじゃないかとか、自分たちの裁量でなんでもできるのが楽しいです」
自然に囲まれた暮らしは、思いのほかふたりの性格に合っていたよう。お客さんにも恵まれて、大きなトラブルもなく3年目を迎えました。それこれも「前オーナーがしっかりと引き継いでくれたおかげ」と大祐さん。オーナーは引退後、「ペンションおもちゃばこ」の隣の空き家を購入してお住まいだそうで、馴染みのお客さんが来るときには顔を出してくれたり、何かにつけ気にかけてくれるのだとか。
大祐さん「知り合いもいない中、オーナーが近く住んでいてくれるのは安心。頼れる存在がいて心強いです」
事業承継して生まれた心の余裕。ペンション経営の仲間作りで地域を盛り上げる活動も
新聞社時代は時間に追われる生活で、ストレスが多かったという大祐さん。この仕事を始めたことで、心に余裕が生まれ、気持ちもおおらかになったそう。
大祐さん「どちらかというと、やりたいこともなく流されるような人生だったと思います。夢があって好きなことを仕事にしている人をうらやましかったですね。今自分がこの仕事をしてみて、あの時に飛び込んでみて良かったなと思っています」
そんな大祐さんが目下取り組んでいるのはペンション村「キラキラ王国」を盛り上げてくれる仲間作り。全盛期は30軒もの宿があった「キラキラ王国」ですが、高齢化によりペンションとしての営業をやめてしまう人も増えました。そこで、事業承継を成し遂げたひとりとしてノウハウを伝授するなど、希望者のサポートをし、ペンション経営に挑戦する人を増やしたいと願っています。
大祐さん「実際に、希望者がいれば仕事を教えたいと言ってくださるオーナーさんもいます。うちが血縁関係ではなく代替わりをしたので、こういう事例もあるんだと知ってもらうきっかけになったようですね。ぜひ、自分たちの姿を参考にしてもらえたら」
現在経営にあたるオーナーたちもほとんどは移住組。そのためかよそ者を受け入れる土壌があり、協力体制も万全だそう。
紋加さん「今はリモートワークもできる時代。例えば繁忙期はペンションを開けて、それ以外のシーズンはリモートワークをするなど、アイデア次第で多様な働き方ができるのではないでしょうか」
今後は、冬だけではなく1年を通して米沢スキー場に足を運ぶ人が増やしたいと語る佐藤さん夫妻。イベントを企画したり、情報発信に力を入れるなど、ワクワクするような未来に向け、日々新たな活動に取り組んでいます。
先代から引き継いだモットー「仕事を楽しむ」。お客さんと一緒に心の底からペンション経営を楽しむ
宿の経営をする中で、大祐さんが大切にしているのは、前オーナーから教わった「仕事を楽しむ」というモットー。オーナーの人柄に惹かれて宿に通い始めた自分のように、お客さんに「また来たい」と思ってもらえるような接客を心掛けていると言います。
そのせいか、取材中に見せていただいたお客さんの写真はどれも笑顔にあふれ、心の底から楽しんでいるのが伝わってきました。
事業承継が人生の転機となり、自分たちらしい活き活きとした暮らしを手に入れた佐藤さん夫妻。これからも二人三脚で新しい“おもちゃばこ”を作りあげていくことでしょう。
文・渡部あきこ