事業承継ストーリー

「街をもっと多彩に」会長語録や経営理念を作ることで会社をまとめあげた海産物専門店の4代目

福島県いわき市で水揚げされた水産物は「常磐もの」と言われ、築地市場をはじめとする水産関係者の間では高く評価されてきました。

創業98年、いわき市で鮮魚店と寿司店、そして食堂あわせて6店舗を構える県内最大級の老舗鮮魚店の4代目、小野崎雄一さんは早稲田大学商学部を卒業後、都内にある高級スーパー「成城石井」勤務を経て故郷いわき市にUターンし(株)おのざきに入社します。

姉2人を持つ末っ子長男として、子ども頃から「いつかは家業を自分が継がなくてはいけない」と思っていたも、23歳の若さで継ぐことになるとは思いもよらなかった雄一さんが、家業を継いでからの1年半に取り組んできたことや現在の心境、鮮魚店としての未来、これからの福島県の水産業について思うことをお聞きしました。 

カレーとスイーツの”いけてる”店をやるためにUターン

(株)おのざき 4代目 小野崎雄一さん

大学進学のために上京し、東京からいわき市を見ていると「いわきには何にもない」と口々に言う故郷の人たちの姿が気になりました。旅好きな雄一さんが国内を旅すると、駅前には同じような全国資本のチェーン店が並びます。

日本には四季があり夏は初鰹、秋にはサンマを食べる文化がある。その文化が失われていくような漠然とした危機感を抱くようになりました。

それならば自分が地元、いわき市でおもしろいことをやろう!カレーと台湾スイーツと古着をやる店をオープンし、いわきの若者を呼び込もう!と帰省。好立地の物件も見つかり8割方準備が整った。そのときに父親から言われたのです。

「会社が大変な状況だ。戻ってきてくれ!」父親から懇願されて

店のオープンまであと少し…というある日、雄一さんは父親から呼び出され「本部社員が2人同時に辞めた。会社が危ない。どうにかして会社に入れ」と深刻な表情で言われました。

「まじか!」戸惑いながらも「自分が継がなければ100人の従業員が職を失い、いろんなことがまわらなくなる」という現実を前にすると「継がざるを得なかった」というのが正直な気持ちでした。「後継者は世知辛い」「職業選択肢の自由さえない」と、当時は悲壮な心境だったといいます。

「この会社は今、どういう状況にあるのか?」従業員全員と面談する

父親から懇願されて入社したとはいえ、当初は辞めた本部社員が担当していた人事や労務管理、総務全般仕事を引き継ぐだけという認識でした。でも従業員からは「経営者として戻ってきた」と受けとめられ、そのギャップに戸惑いを感じました。

戸惑いながらもまず100人の従業員、すべてと面談をします。一人一人と話をすることで、名前と顔を一致させ、さらには会社の現状を知りたかったのです。

1人30分と決め、働いていて感じていること、悩みや不満を聞きました。驚いたことに彼らの口から出てくる言葉は不満だらけ。従業員がみな、疲弊している現実を知ることとなります。

平行して会社の財務状況を調べたところ、かなり切迫していることが判明。さらに新型コロナウィルス流行による売上減少が追い打ちをかけ、昨年夏に2店舗の閉鎖を決意。

歴史ある店舗だったために社内で猛反対が起きましたが「誰かが決断しなければ会社は生き延びられない」と決行。経営者とはいえ、社内で一番若い雄一さんのふるまいに、おもしろく思わない従業員から反感をかったり、嫌な噂を流されたりしました。

「自分想いを理解してもらえないことがつらくて、辞めたいと思ったことも1度や2度ではありませんでしたね」と雄一さんは語ります。

経営理念は「街をもっと多彩に、もっとおもしろく」 

98年前、小さな商店から始まった(株)ざき社風は現場主義。雄一さん祖父、英雄(ひで)さんや父、幸雄(ゆき)さんも、従業員と一緒に自ら魚調理や品出しをやっていたため会社営理念がありませんでした。「なぜおのざきは魚を売るのか」「どういう流れで今の会社があるのか」などを、創業家全員に集まってもらい(株)ざき98年歴史をふり返りました。

雄一さん「祖父も父も、考えたことすらなかったので最初は戸惑っていましたが、経営理念策定が会社の意思決定の重要なよりどころになると説明して、みんなで作っていきました」

会社の歴史をふり返ると「山側に住んでいる人にもカツオを食べさせたい」という思いから、当時珍しかった発泡スチロールにつめて宅配便で送るアイデアを発案したのは現会長、祖父の英雄さんでした。

常にお客さまのことを考え、従業員を想う英雄さんを慕う従業員は多く、雄一さんとの従業員面談でも「会長の下で働けて幸せでした」という声は多く聞かれました。雄一さんは会長夫妻の家に住み込んで会長の言葉をメモし「会長語録」を創ります。鮮魚店でありながら寿司や食堂を運営し、魚を通して新しい事業をやることで、いわき市の人たちを魅了し続けていった先代たちの背景から「街をもっと多彩に」という理念が生まれました。

左から父・幸雄さん、祖父・英雄さん、4代目の雄一さん

「もっとおもしろく」は、これから会社を経営していく雄一さんの願いです。これからの時代は「感情価値」が大事になると思っているので、(株)おのざきを「楽しい」「わくわくする」おもしろい魚屋にしていきたいという思いがあります。

雄一さん「『おのざきからは高くても買うよ。魚は美味しいし、品質も良いし、わくわくするんだよね』という世界観をつくっていきたいと思っています」

先代の思いを大切にしながら、自分がつくりたい世界観を加えて(株)おのざきの経営理念が完成しました。

社内に起きたうれしい変化

父親に懇願されて入社を決意し、当時最年少でありながら社内改革を次々と行っていた雄一さんに抵抗感を示す従業員は少なくなかったのですが、一人一人との対話を大切にしていった結果、徐々に変化が見られました。

たとえば従業員が考案した「カップ寿司」は、ひなまつりシーズンによく売れました。今まで受け身だった社員に「新商品がんばりましょうよ」と声をかけたのがきっかけでした。「雄一さんが頑張ってるから、俺ももっと頑張る」と古参の社員から声をかけられ、新規事業立ちあげに手を貸してくれたときは、うれしくて涙が出てきたそうです。

福島県の水産業が変われば、水産業の歴史が変わる!

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年たった今も、いわき市の漁業は厳しい状況が続いています。風評などの影響もあり、震災前の漁獲量まで回復していないのが現状です。

先が不透明だからこそ、福島県最大の鮮魚店として「常磐ものの美味しい魚」を提供することが、県の水産業の復興に寄与できると雄一さんは考えています。

そのためには自分たちが船を出し、自分たちで魚を捕ってきて、自分たちで売ることまでやるのが雄一さんの夢です。その夢を一緒に実現してくれる若い仲間をいま求めています。

「福島県は特別な場所」と語る雄一さん。「若気のいたり」(本人談)でUターンして起業準備をしていた時に、父親から当時危機に瀕していた家業に参画してくれと懇願されました。

思い焦がれた起業を断念し、急遽家業を継いだ雄一さんが、わずか1年半の間に社会的な使命を感じながら会社を牽引する姿に、未来への希望を感じずにはいられませんでした。

株式会社おのざき公式サイト

文:武田よしえ

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