昭和23年の創業以来、和紙流通の原点といわれる大阪・四天王寺で和紙卸商を営んできた「株式会社オオウエ」。2年半前にお兄さんと入れ替わりで、4代目候補として家業に入った大上陽平さん。学生時代に紙業界の停滞を肌で感じ、幼少期からの想いを胸に家業に入るまでの経緯を伺いました。
我道をゆく兄。いつかは自分が後継ぎに。
大上さん「会社の近くに実家があるので、物心がついた頃から会社を遊び場にしていました。創業者でもある祖父はいつも優しく、よく外食に連れていってくれてとても羽振りがよかったです。その姿を見て、会社はうまくいってるんだなと感じていました。漠然と、自分で商売をすることはやりがいのある仕事なんだなと思っていました。
私は3兄妹の次男で、兄は昔から学業が優秀で志が高く、『俺は紙業界では収まらない』と言っていて我道をいく人でした。家族からは『次男が後継ぎになるかもしれないね』と言われていたこともあり、高校生の頃から後継ぎになる意識をしていました」
その頃から、大上さんは周りに将来の夢を聞かれると、「経営者になること」と答えていたそうです。
紙の不況。「いつか打開したい」気持ちで臨んだ就職活動
平成の最中、「紙業界の不況」といわれる時代が訪れます。IT促進に伴うペーパーレス化が進み、会社の売上も激減。取引先の倒産も相次ぎ、家で両親が仕事の話をすると、暗い話題を耳にすることが増えたそう。
大上さん「まだ学生でしたが、紙業界の危機をなんとなく感じていました。大変な状況だったこともあり、両親からはっきりと「家業を継いでほしい」と言われたことは一度もありません。その頃は継ぐかどうかわからなかったですが、自分がこの状況を打開したいという気持ちがずっと心の中にありました」
「印刷や製本、加工印刷業を勉強すれば、和紙に付加価値をつけて新しいものができるのではないか」そう考えた大上さんは、大学卒業後、凸版印刷へ就職します。
兄は家業へ自分はインドへ。うまく噛み合った二人のタイミング
大上さん「就職活動が終わる頃に、兄がオオウエへ入社することを聞かされました。その頃、病気がちだった祖父が兄に「お父さんを支えてくれないか」と話したそうです。後継ぎは一般的には長男ですし、自分は就職が決まっていたこともあり、サラリーマンとして外から家業を支えることができれば良いな、と当時は思っていました」
「どこにいても、家業のことが頭にあった」と語る大上さん。凸版印刷を退社後に、家業の海外展開も見据えてインドへ渡りました。海外で経験を積む中、突然お兄さんから連絡があったそうです。
大上さん「兄は入社後、和紙を使った商品の開発や、オウンドメディア『うるわし』の立ち上げなど様々なことにチャレンジしていました。やっていくうちに『自己成長の為にオーストラリアへ海外留学をしたい』という気持ちが出てきたそうです。兄と示し合わせていたわけではないですが、自分も仕事が一区切りついていたので、帰国して再就職を考えていました。2人のタイミングがうまく重なって、兄と入れ替わりで家業へ入ることになりました」
運命に導かれるように家業へ入った大上さんを待ち受けていたのは、想像もしない過酷な状況でした。
いざ家業へ入るも、思った以上に和紙が売れず苦悩する日々
大上さん「入社する前は、和紙はもっと売れると自信があったんです。でも全く売れなかった。『サラリーマン時代の繋がりを活かして大きな仕事を持ってこれる!』と意気込んでいたのに、話が全然進みませんでした。すぐに業績回復できると思いましたが、甘かったです。
家業あるあるだと思うんですが、未だに手書きの伝票が多く、全てがアナログでシステマティックではありませんでした。退職した社員が担当していた営業先のデータもろくに残っていなかったんです。うちは古参の社員がいないので、誰にも指導してもらえず、新しいチャレンジをしても批判されない状況がとても辛かったですね」
会社員時代は、発案するとたくさんのスタッフが連携して商品化になるスピードも早かったと振り返る大上さん。家業に入ると一転、1人でやらなければならない立場になり、アイデアを形にしていくことの大変さを痛感したといいます。
大上さん「このままではいけないと思い、若手後継者向けのセミナーへ積極的に参加して、同じ境遇にいる仲間と出会いました。みんな同じような悩みを抱えていることを知って、とても救われましたね。まだオオウエに入社して2年半ですが、ようやく慣れてきたところです。2022年以降は、和紙を使った新たな商品の試作品を作ったり、サービス体制の改善や、WEBサイトのリニューアルを考えているところです。とても前向きな気持ちでいます」
サステナブルな素材、和紙。時代にあった形で業界を盛り上げたい
会社員時代からのギャップに悩みながらも和紙業界を盛り上げようとしている大上さんへ今後の展望についてお伺いしました。
大上さん「今後は和紙を使って包装資材や梱包材を作っていきたいと考えています」
会社員時代、簡単に破棄されていくチラシを見て「自分はゴミを作っているんじゃないか」と悩み、悲しくなった出来事がきっかけだったとか。
大上さん「紙業界には『脱プラスチック』という大きな課題があります。その点、和紙は天然の植物由来なので、とてもサステナブルな素材なんです。お客さまから、和紙の温かくて儚い風合いを気に入ってもらえて、実際にお引き合いをいただくことも多いです。誰かの思いが込もったプレゼントや商品を環境に優しい和紙で包んで、お客さまへ届けるお手伝いができると良いですね」
和紙をもっと手軽に。日本の古き良き文化を解きほぐし、伝える
生活に身近な商品を作りたいと思う理由は「敷居が高いと思われている和紙を、もっと手軽に手にとってもらえる環境をつくっていきたい」という想いがあるそうです。
大上さん「こんなに素晴らしい素材の和紙について、わからない方も多いんじゃないかと思っていて。産地によって味や風合いがそれぞれ違っていたり、色目もたくさんあって選ぶのもとても面白いんです。『和紙ってなに?』というところを、和紙卸売商として長年携わってきた自分たちが解きほぐして、皆さんに伝えていけたらいいなと思います」
最後に、現代表の大上能弘(よしひろ)さんへ息子・陽平さんについてお話を伺いました。
能弘さん「先代から『家業というのは家族へバトンを渡すものだ』と言われていましたけど、うちは職人集団ではなく商社なので、ただ継ぐだけではなくて、才覚やセンスが必要なんです。私は継ぐことの大変さを身をもって感じていたので、『息子たちへ引き継いでもいいんだろうか』と感じていました。いつもどこにいても、家業のことを思ってくれていた気持ちはとても嬉しいものです」
昔から、子どもたちはそれぞれ、やりたいことに向かって突き進んでほしいという思いがあり、今もその気持ちは変わらないそうです。家族がそれぞれ別の道を歩んでいたとしても「チームオオウエ」として支え合っていければと語る能弘さん。
能弘さん「家業という枠に囚われすぎず、自由にやりたいことをやってもらえたらと思う。息子は期待以上のことをやってくれているので、本当に何も言うことはありません。私にないものを持っていて、センスや人当たりの良さは、カリスマ経営者と呼ばれていた祖父から隔世遺伝しているのではないかと思うくらいですよ。
先代は商売のやり方やカリスマ性だけではなく、お客さまの悩みを親身に聞いて、情熱を持って取り組んでいました。その姿が人を引き寄せたのではないかと思うんです。その熱は息子にも感じていて、今後のオオウエにとても期待しています」
今も決して良いとはいえない紙業界の現状。学生時代から、「この苦しい状況を打開したい」という熱い思いを内に秘めながら取り組んできた大上さん。大阪・四天王寺から、新しい和紙の文化が発信していく大上さんの姿から、目が離せません。
文・濱本ゆま