2021年5月、和歌山県田辺市にある客足の絶えない人気カレー店「れんが屋」が閉店しました。
「れんが屋」は南岡敏夫さん・恵子さんご夫妻が1995年から26年営んできた、カウンターとテーブル12席の小さなお店。スパイスカレーが広まりを見せる中で、野菜たっぷりの欧風カレーを貫き常連客や県外から足を運ぶ支持客に愛され続けてきました。
敏夫さんは50年以上のベテラン料理人で、ニューヨークのステーキ店で勤務経験もあります。
経営も順調でしたが70歳を超え体力的な厳しさも感じ店を閉めることを検討し始めます。しかし、閉店を惜しむ声はとても多く、そんな中で創業当時から米屋として取引のあった「株式会社たがみ」の社長、田上雅人さんが承継することを決めました。
田上さんはなぜカレー屋を承継することを決めたのでしょうか。お話を伺ってきました
多くの人に愛される味を残したい
田上さん「お米の配達をする中で『承継どう?』とは言われていましたが、僕も米屋としての仕事もあるために考えますよね。
それでもと思って話を聞いてみると『今月末には辞める』と話されるものだから、あまりにも急な話でビックリしました。『それは、勿体ない』と思い、株式会社たがみの中のカレー事業部として僕が中心となって引き継ぐことにしました」
「株式会社たがみ」は昭和19年から続くお米屋で、田上雅人さんで3代目。
阪神大震災を機に「好きな街でカレー屋を開きたい」と、移住してきた南岡ご夫妻が「お米の取引をさせて貰いたい」と立ち寄ってくれたときから、26年の長い付き合いになると話されています。
長い付き合いでいい関係だったから、いいスタートを切れた
田上さん「南岡さんご夫妻の趣味である登山も連れて行ってもらうほど、よくしてもらっていました。住みたい街でカレー屋を開きたいと田辺市を選んで貰ったわけですし、本当に縁ですよね」
公私の付き合いをする中で、お米の注文・配達状況から店の繁盛具合が分かってしまうと田上さんは話されています。
田上さん「多くの人に愛されている店の味がなくなってしまうのは勿体ないし、残念と思う気持ちがありました。
そんな僕の背中を押すように『承継してくれるんやったら、全て教えるからそのまま引き継いでくれたらええよ。家賃だけは必要だけどね』と、南岡さんが笑って話されるものだから、何だかいいスタートが切れそうな気がしました。
それもあってか、5月28日の閉店までの1か月間という短い期間でレシピと運営を教えて貰いに行き、6月10日には営業を再開しました」
従来のカレーの味や店の雰囲気は残しつつ、田上さんが新しく取り入れたのはInstagramやFacebookなどを活用したSNSでの発信と、テイクアウトなどです。
田上さん「SNSの集客効果やコロナ禍におけるテイクアウト効果もあってか、売り上げも3~4倍に伸ばすことができました。忙しいから今はパートさん2人に手伝ってもらっています。人手が足りないときには、南岡ご夫妻にもアルバイトに来てもらっていますよ」
南岡ご夫妻とのいい関係が続いていることを話されています。
異業種承継の難しいところ
お米屋と飲食業は、同じ食品を扱う業種ではあるものの、似ていて非なるものでしょう。田上さんは、そうした承継にどのようなことを感じながら営業をされているのでしょうか。
田上さん「僕も若いときに飲食業のアルバイトをしたことはあります。だから、イメージは出来ているのですが、昼間だけの営業のため、お昼休みに来てくれるお客様のために『早く出さないといけない』などと気持ち的に焦ります。
でも、米屋と違ってお客さんの反応をすぐに知ることが出来るし面白いですよね。米屋では体験することが出来ない働き方です。 コロナ禍の視点で見ても、カレーは生ものじゃないからフードロスが無いのがいいですね。
それにカレーっていつでも食べたくなるでしょ」
柔らかい言葉で笑って話される姿に、承継してよかったことが伝わってきます。
地域の中で、第三者承継に対する配慮を持つ
地域で米屋として働くなかで、飲食店の第三者承継をすることに気を遣う部分もあったと話してくださいました。
田上さん「僕は米屋ですから当然、取引先に飲食業の方々がとても多いです。だから、米屋が飲食業に入っていくことにとても気を使いました。
同じカレー屋でも周りに多いスパイスカレーだったら参入していなかったでしょうし、居酒屋など取引のあるところであれば承継はしていなかったですね。昔からの欧風カレー屋だったからこその承継で、これも縁でしょうね」
第三者承継に大切なことは「応援したろうか」と思ってもらうこと
第三者承継そのものについては、どのように感じていらっしゃるのでしょうか。
田上さん「親子承継や同業種の引継ぎだったら、名前を引き継ぐことが大きな役割です。その場合、課題は時代背景や経験値で、承継の課題解決の糸口が見つかりやすいのかもしれません。
ただ小さなお店の第三者承継は難しいと思います。特に飲食業で『ダシの味』が店の要となる人気店を引き継ぐというのは難しいと思います。『ダシの味が変わった』などというお客さんの声が評判に直結するでしょ。そういうのは、愛想の部分だけではカバーできない所ですしね」
田上さん自身はカレー屋で比較的「ダシ」とは縁遠い食品だったことをラッキーだったと話されています。しかし、配慮は事欠かないようにされていることも教えてくださいました。
田上さん「インターネット社会ですし、Googleの口コミなども一斉に広まる世の中で、返信もこまめにするようにしています。
気を遣う部分もありますが、僕の場合は前向きにやっていけそうなことの方が多いですね。第三者か親子かに限らず承継は大変なこともありますが、気の持ちようで前向きにやっていけそうなことの方が多いと思いますよ。
そのためには、自分自身や店のことを『応援したろか』って人を繋いでいくことがポイントになっていくと考えます」
米屋の3代目として、承継したカレー屋として、地域の事業承継課題も解決していきたい
「れんが屋」承継後の田上さんの展望を伺ったところ、素敵なお話を伺うことができました。地元和歌山県田辺市に根を張り、今後の道筋を作る夢が思い描かれていることを知ることが出来ました。
田上さん「れんが屋はもう2店舗作りたいなと考えています。合計3店舗ですね。
米屋の田んぼも15ヘクタールありますが、これも30ヘクタールまでに増やして玉ねぎなども作っていきたいです。米も玉ねぎもカレー屋に使えるでしょ」
この計画は、米屋・カレー屋としてだけではなく地元田辺市の将来を見据えたものです。田上さん自身、田辺市主催の「たなべ未来創造塾」という、空き家問題や承継者の不足の地域全体の課題解決に向けて活動中です。その一環として、全国各地でIUターンを募集する講演も開かれています。
田上さん「講演をする中で、本気で田辺市に移住を考えてくれる人たちに、田んぼや玉ねぎ事業・カレー事業を任せたいですね。
2025年に大阪万博くるじゃないですか。そのときはきっとコロナ禍も治まってると信じて、大阪で一泊した方に和歌山にも足を運んで貰い事業承継と万博の波を掴みたいですね。
いろいろと活動していると『なんで、そんなことするの』と言われることもありますが、次のチャンスを掴むためには一歩先を歩かなきゃ、チャンスが来たときに動き出しても遅いですからね。
一歩踏み出さなければ、右に行くのか左に行くのかすらも決められない。あかんかったら辞めればいいですし」
れんが屋の承継が、多くの人のためを考えたものだと言葉から強く感じ取れました。
夢を語りながら「自分の事業承継」も考えていかなければ
最後に「自分自身が承継するときがきたらどうするのか」についても話してくださいました。
田上さん「れんが屋も米屋も、いつか僕自身が誰かに事業承継するときがやってくるはずです。
実はもうひとつ米屋として『熊野米プロジェクト』ってお米を広める事業にも関わっています。 多くの活動をするその全てが、自分が引退した後も承継されて残っていくといいなという思いがあります」
承継の大切さやこれからの若者のこと・日本のことを考える、広い心を持つ人柄が伝わるインタビューとなりました。
田上さん「スパイスカレーが多い世の中で、昔ながらの欧風カレーをみんなに食べに来て欲しいですね」 地元の発展を願う思いが込められたカレー店「れんが屋」の事業承継。これからも田上さんの、行動に目が離せません。
文・瀬島早織