高鍋町の人が賑わう交差点に悠々と佇む、趣のあるお菓子屋さん「日向利久庵」。美郷町の名産である栗をふんだんに使用した栗菓子は、多数の雑誌やテレビで紹介され、宮崎のみならず全国からも人気です。
オーナーの弓削龍生さんは高鍋町出身。2011年に東京から宮崎へUターンし、2015年に後継者がおらず菓子製造部門を廃業していた「日向庵」を承継しました。現在は「日向利久庵」として生まれ変わり、高鍋町、美郷町、宮崎市イオンの3店舗で運営をしています。
まだ「事業承継」という概念が広がっていなかった5年前にいち早く第三者承継に取り組み、伝統の味を守りながらも積極的に新しいことに挑戦している弓削さん。「多様性は地域課題を解決する」と語る弓削さんにその想いを伺いました。
従業員の「もう一回やりたい」という言葉が背中を押した
▲株式会社日向利久庵 代表取締役 弓削龍生さん
大学卒業後、東京で大手眼鏡屋のフランチャイズ展開や企業のコンサルタントなどに携わっていた弓削さん。2011年にUターンして創業支援の会社を経営し、道の駅都農など多くのコンサルティングを行っていました。そんな折、知人から「日向庵」の菓子製造部門の承継の話を持ちかけられます
弓削さん「はじめは悩みました。製造業をやったことがないし、僕の経験が活かせるとしたら販売のノウハウや商売上の戦略を練ることくらいでしたから。でも僕自身も日向庵のお菓子は昔から食べていたので、単純にこの味を残したいと思ったし、工場や生産者などの雇用も守れると思いました。それに何より、元々日向庵で働いていた従業員さんたちが “もう一回やりたい”と言ってくれました。その言葉と想いが僕の背中を押してくれて決断しました。
それから…実は我が家の家紋が栗を使ったものだったので、栗専門のお菓子屋をするとなった時には運命を感じずにはいられませんでしたね(笑)」
事業承継を宮崎で一番早く成功させたい
そうして約半年で準備を進め、旧日向庵のスタッフが再集結。2015年に「日向利久庵」として生まれ変わりました。実際やってみると、できあがったものの中に飛び込んでいくのは想像以上の苦労があったと言います。
弓削さん「“会社作りました。オーナーになりました。明日からよろしくお願いします”って簡単にいくはずないですよね。時にはぶつかったりもしながら互いの価値観を理解し、人間臭くやっていくなかで一から信頼関係を構築していきました。
そして当時は今のように事業承継の概念が広がっていませんでした。一度ストップした事業に対して異業種が参入することに対して、若い世代ですらネガティブに受け止められることが多かったですね。でも事業承継は一から創業するよりも即効性があって軌道に乗る確率も高いはず。前例がなかったからこそ、元々ある資産を活かしたビジネスを宮崎で一番はやく成功させたいと思いました」
▲築97年の古民家を店舗用に改装。柱や時計など大半はそのまま残し風情ある内装になっている
レシピは承継していたのでスピーディーに戦略を立てることができましたが、一度店が閉まったので販路開拓はほぼゼロからのスタートでした。まさに第三者承継のメリットも課題も肌で感じながら、1つ1つ丁寧にクリアしていったのです。これまで手をかけていなかったインターネットや商品のブラッシュアップ、ブランディングにも積極的に取り組みました。これには前職の経験が役立ちました。
弓削さん「スタッフが戻ってきてくれて作り手がしっかりしていたので、生産までのルーティンや仕入先や原材料の選定が確立されていたのは助かりました。あとは会社に足りていなかったインターネット販売や商品のブラッシュアップ、ブランディングが必要だったので、そこに僕が入ったのは、お互いの強みが合わさって相性がよかったと思います。
前職では利久庵とは真逆のような全国のフランチャイズの量販店などに携わっていました。どれだけ安くて特色のあるものを販売するのかということに特化して取り組んでいたけれど、当時一番怖かったのはコンセプトがしっかりしていて希少性のあるオンリーワンの会社や商品でした。だから真逆の戦略をイメージできたんです。大手から見てこうされたら嫌だなというのをやればいいんだと」
大手と真逆の戦略で勝負する
▲人気のお菓子「栗利久−雅−」。日本の贈答品百選にも選ばれた一品
大手と同じ戦い方をするのではなく、あえて真逆の戦略でいくことで存在感を出す。弓削さんは日向利久庵に2つのコンセプトを生み出し、ブランディングに取り掛かりました。併行して高鍋に旗艦店をオープン、東京の百貨店に卸をしたりて、全国的に知名度が上がるような努力もしました。その成果は大成功。味の確かさはもちろんのこと、ストーリーのあるお菓子屋として、全国紙に多数紹介されるようになったのです。
弓削さん「山間地域でなくなってしまったお菓子屋さんを復活させることで地域に還元したい。そういう思いで作っているお菓子1つ1つにストーリーを持たせ付加価値を高めて売っていく。純粋なお菓子の美味しさと、地域課題を絡めたソーシャルビジネスの2方向から露出を増やしました。
メニューも和洋折衷で和っぽくなりすぎないようにしています。和菓子とコーヒー、ロールケーキと抹茶など、ジャンルの垣根を超えて自由な楽しみ方をしてもらいたいです。うちは和菓子屋というよりは栗菓子店なので」
感謝の気持ちを地域に還元したい
▲他の和菓子店で使用されていた和菓子の型。現在はモニュメントとして飾っている
弓削さん「昔は宮崎が嫌で東京に行ったんですけど、だんだんと大人になって分かる良さというかね。やっぱり今の自分があるのは、宮崎での経験や両親、仲間のおかげなので。若い頃は人のことより自分のことというか、自分をいかに高く評価してもらうかって気持ちの方が強かったんです。それが今は180度変わりましたね。
一度働き過ぎて身体を壊してしまった時に色々考えたんです。一人じゃ何も出来ないし、今までずっと誰かに支えてもらってきた。この感謝の気持ちを地域に還元したいって気持ちが強くなりましたね。だから今は創業して5年で厳しいしきついですけど、やりがいというか、充実してる毎日じゃないかと思います。大変ですけどね。大人になって帰ってきて、こんな貢献したいななんて気持ちになると思わなかったですよね」
地域貢献の一つとして、地元の学校への講演など教育にも力を入れている弓削さん。学校で授業をしたり体験学習を受け入れて、地域の子どもたちに想いを伝えようとしています。
弓削さん「製造や販売、商売をする上でのプランニングや営業面など教えられることは何でもやりします。泥臭さを感じて実践して、経営や和菓子のおもしろさと大変さを知ってもらいたい。こんなこと考えて起業しているんだよって中小企業のリアルを伝えて、地域のことを考えてくれる人が一人でも増えればいいかなって思います。そういうことで想いがつながるんだと思いますね。
お給料面とか福利厚生では都会に敵わないけど、宮崎は経営者に近いとこで仕事できますよね。そうすることで自分を高めていけるよねっていうのは伝えたいなと思います。それが僕らの世代の役目だと思うんですよ」
美味しいお菓子を通して全国の方に宮崎を知ってもらいたい
承継から5年。今年は新型コロナウイルス肺炎により思わぬ影響も受けました。苦しいこともありますが、周りの何気ない一言が力をくれると弓削さんは話します。
弓削さん「コロナの影響で長期計画の優先順位も変えざるを得なくなりました。通販や流通を強化しようと考えてはいましたが、出張販売や卸とのバランスを早く見直すきっかけになったと捉えて取り組んでいます。
利久庵は利益や存在意義を地域に還元し、美味しいお菓子を通して全国の方に宮崎を知ってもらい、地域の子どもたちを教育し貢献することを信念に会社を運営してきました。この環境の中で試行錯誤の毎日ですが、それはこれからも変わりません。
そのためにもお菓子のホンモノ志向を強めていきたいです。もっと洗練して、栗菓子を軸とした多様な戦略をやっていくつもりです。お菓子業界にいなかった私だからやれることがあるはずです」
もうすぐ栗のおいしい季節。ネット販売 もあるので、栗の贅沢な味わいを楽しんでみませんか!