佐賀県佐賀市にある「有限会社 サガ・ビネガー」は、1832年に創業した酢の醸造元。代表取締役の右近雅道さんは、18歳のころに母親が体調を崩したことがきっかけで5代目に。その後、2014年に三男の右近諭志さんが6代目を事業継承してからも、190年以上続く伝統的な製法を守り続けています。
発酵と熟成合わせて半年。丁寧な酢造りが健康ブームの先駆けに
お酢の製法は大きく分けて2つ。市場に出回っている殆どのお酢は「速醸法」といって、人工的に空気を送り込むことで1〜2日という短期間で作れて、クセがなくさっぱりした味が特徴です。
雅道さん「サガ・ビネガーでは創業以来ずっと、「静置法」でお酢をつくり続けています。原料となる素材を発酵90日、熟成90日の合わせて180日寝かせることで、味と旨味、香りに一段と深みが増します」
戦時中は酢造りに使う米が制限され、化学調味料と甘味を使った「合成酢」が普及。昭和50年代に入り、家庭では安くて手に入りやすい速醸法で作られたお酢が人気となりました。時間も手間も掛かるため、どうしても高価になってしまうサガ・ビネガーのようなお酢にとっては厳しい時代に。
80年代に入ると、大豆ビネガーのヒットがきっかけとなって黒酢をはじめとする健康ブームが訪れます。今では看板商品の果物を使ったバーモント酢もその1つ。原料の果物は九州産にこだわり、販売している9種類のうち、6種類は佐賀県産です。
道端に捨てられる玉ねぎからつくったお酢。地元の素材を正直な価格で
佐賀県は北海道に次ぐ玉ねぎの一大生産地。しかし春になると、県内生産の7割を占める白石町では価格調整の為、農家の道端で捨てられていたといいます。その光景をみた雅道さんは、酢に活用出来ないだろうかと考え、県の工業試験場と共同開発。3年かけて玉ねぎ酢を商品化しました。
最初は業務用で販売していましたが、高コストでなかなか浸透せず。そこで小瓶タイプをスーパーで売り出したところ、テレビで紹介されたことがきっかけで全国から注文がくるようになりました。
雅道さん「どうしても手作りに近くなるので、販売価格は高めです。大量に作ることは出来ません。たとえ高くても、地元の素材を使って適正な価格で売る。それが我々零細企業が生きる道だと思いました。必要以上に安くする必要はないし、それがあるべき姿だとも思います」
一つ一つの言葉には、雅道さんのお酢に対する愛情と、職人魂が現れています。6代目の諭志さんには、先代であり父親でもある雅道さんが、経営者としてどう映っているのでしょうか。
諭志さん「社長とは喧嘩もしますが、経営者としてはとても尊敬していますし、見習う点が多い人だと思います。とくに、問題が起きたときは冷静に対応し、お客様に対する姿勢は誰よりも柔らかいです。また、たまねぎ酢やトマト酢など、佐賀の原料にこだわった着眼点は素晴らしく、酢造りに関しても独学で身に着けた知識や技術は努力の賜物だと思います」
雅道さん「常務に経営全てを任せるのはいつでも良いとは思っていますが、私がまだ頭も体力も元気な間は社長でいたいなと。既に実務は任せているのでいつでも譲れますが、親という立場から考えると、まだまだ物足りない感じがするんですよね。親にとって、子供はいつまでも子供なんですよ。入れ替わる時は近づいてるとは思いますけどね」
きっかけはアルバイト。軽い気持ちで入社し気付けば13年
東京の大学を中退後、実家に戻ってきた諭志さん。雅道さんが「今ちょっと中の方が忙しいから、手伝ってくれないか」と声をかけたことがきっかけで家業を手伝うようになったそう。
諭志さん「当時働いていた会社の契約も切れるタイミングで、将来何をしたいかも明確に決まっていませんでした。いい仕事があればいつでもシフトチェンジしようと思っていたくらいの、軽い気持ちだったと思います」
パートさんも昔からの顔なじみで、特に抵抗なくすんなり受け入れてくれたといいます。
雅道さん「性格的に人当たりが良く、人から好かれる性格の三男に家業を継がせたいと思っていたので、先ずはパートさんの補佐として仕事を始めてもらいました」
諭志さん「はじめは特に、会社を継ごうという気持ちはありませんでした。パートさんから指示された仕事を手伝ううちに、気付いたら正社員の手伝いもするようになってました。どこで正社員に切り変わったのか、正直自分でも分かりません。
小さい頃から『会社を継ぐのはお前だ』と言われていて、親戚や兄たち、学校の先生からも見えない圧は感じていましたね(笑)今となっては戻って来て良かったですし、親孝行できたと思っています」
入社してから7年経った2014年、諭志さんを常務として経営に迎え入れた雅道さん。しかし、お互いの考えが食い違って衝突することも。常務になってからは積極的に会社の改革をしようとする諭志さんを、雅道さんはハラハラした気持ちで見ていたそうです。
「嫌われてもいい」小さなところから手をつけた社内改革の数々
諭志さん「以前から、仕事の段取りの悪さが気になっていました。多くの会社はまず、朝に一日のタスクを確認すると思いますが、うちでは挨拶があるだけです。仕事の全体像も見えづらかったので従業員の仕事に対するモチベーションが低くて、会社というよりはただ集まって仕事をしているようでした。
まずは朝礼と終礼を取り入れて、仕事に必要な物の配置を決めて効率的に動けるようにしたり、日報も書くことで休憩の時間を明確にしたりと、細かく口を出しては改善していきました。前からいた社員の反発もありましたが、このままではこの会社はもたないなと思い、危機感を感じていました」
迷走の末、辿り着いた会社のブランディング。手に取りやすい商品で売上アップ
1987年に現在の場所に工場を開設してからは直売所として販売もしていましたが、訪れる人の中には事務所と勘違いして来店をためらうお客さんが多かったそう。そこで、店内のディスプレイからパッケージデザイン、さらには従業員が纏う法被(はっぴ)にいたるまで、2016年に全面リニューアルしました。
諭志さん「以前は印刷屋さんにデザインも合わせて頼んでいたので、各パッケージのデザインに統一性がなく、長い歴史がある会社のカラーとは違ってポップな印象が強かったりと、方向性が定まっていませんでした。
あるとき経営コンサルタントの方から、『サガ・ビネガーさんのこだわりは?』『今後どうしたいんですか?』『何が売りなんですか?』と聞かれて、返答に困ったことがきっかけでブランディングを始めました。結果、売り上げは2割上がって、商品が見やすくなったので手に取ってもらえる頻度も増えました。バイヤーの方が来られた際の反応も良いので、会社の信用アップにも繋がっています」
右近酢の良さを知ってもらうための新しい取り組みを考えると、楽しくてワクワクするという諭志さん。最後に今後の目標をお聞きしました。
お客様だけでなく、社員にも喜ばれる酢造りを
諭志さん「3年前に就業規則を作って有給を取らせることにしてからは離職率が減って、従業員の不満も減りました。今までは『お客様に喜んでもらえる酢造り』がモットーでしたが、これからは『従業員にも喜んでもらえる酢造り』を目指していきます。一方でこれからもずっと、地元産の素材を使うことや、製法を変えずに手間暇をかけた丁寧な酢造りは守っていきたいと思います」
「私ではなく次に受け継ぐ人のカラーで、あとは自由にやってもらえばいい」と、力強いエールと優しいまなざしを向ける雅道さん。
親から子へ、190年以上続く酢造りとお酢への熱い想いは、確かに受け継がれています。
文・森山絢子