島根県西部、山間に位置する津和野町。「山陰の小京都」とされ、城下町として古くから多くの観光客に親しまれてきました。しかし、近年は観光客の減少によって、街の観光事業の見直しが必要ではないかと考えていました。そこへ、コロナ禍の影響が及び、客足の低迷に追い打ちがかかります。
ここ津和野で、和菓子処「三松堂」の三代目・代表取締役社長を務めるのは小林智太郎さん。家業を守るため、道を切り開き続ける小林さんにお話を伺いました。
先代2人の想いを承継に織り込みたい
三松堂は、小林さんの祖父が昭和26年に創業した和菓子のお店です。その後、小林さんの父親が事業承継をし、平成17年に小林さんが3代目として親子承継されています。
小林さん「祖父が三松堂を創業した当時は物資も少なく、パンなどを作って給食などに提供していたと聞いています。その後、事業承継のバトンは父が受け取るのですが、ちょうどその頃、津和野は観光の街として大いに賑わっていて昭和51年には有限会社 和菓子処 三松堂へと切り替えています。
その後、島根県内の益田市と津和野町内にもそれぞれ1店舗ずつ出店しているので、事業が順調だったことが伺えます。思い返すと、私が子どものころは津和野はいつも観光客で賑わっていて、両親も従業員の方々も朝から晩まで忙しくしていましたね」
幼いころから家業で働く両親を見てきた小林さんは、いつの頃からか漠然と「将来は、三松堂を継ぐ」と感じていたそう。高校卒業後はニューヨークへ留学し、現地での仕事を経て平成12年に帰国。そこから三松堂で5年間の修業を経て、平成17年に三松堂の3代目社長となりました。
小林さん「承継にあたって、両親から『事業承継してほしい』などといった言葉掛けは一斉ありませんでした。本当に自然な流れのなかで、三松堂を受け継ぐことになったんですよ。だからと言っては何ですが、先代2人の想いを経営理念に落とし込みたいと思いました。
創業者である祖父は、とても信心深い人でした。菩提寺の御上人との対話を重ねることも多く『美味しいものを作りなさい』という言葉を心に、三松堂を経営していたと聞いています。一方、父はどちらかというと『美味しいものを作ると、誰でも一瞬にして幸せになる』『ひとときの幸せを、ひとりでも多くの方に提供したい』といった、理念を強く持っていた経営者だったように感じます」
ニューヨーク、留学からの帰国後の奮闘
帰国後、家業に入ってすぐに津和野の街が『留学前と変わっていない』と、感じたそうです。
小林さん「私が事業に入ってすぐリーマンショックがやってきました。社会情勢も揺らぎ、とても良いとは言えなかった経営状況に、さらに追い打ちをかけられました。とにかく事業承継後は、後ろから大波がやってきていて、何かやらないと自分たちが潰れてしまうような状況だったんです」
この頃、お土産だけを売っていても事業は悪化していくばかりだったと言います。そんな危機感にさらされる中、何かお土産の代わりとなるものを考えて、試して、のくり返しでした。
小林さん「津和野で商売をやる中で、三松堂だけが生き残っても意味がないと思うようになりましたね。津和野にある店が、息を吹き返すためには街全体を盛り上げたいと強く思いました」
ふたたび津和野の観光業が活性化すれば、必然的に経営状況はいい方へ向かうと考えた小林さん。商工業者の立場から地域に深く関わっていた時期もありました。
コロナ過が事業を突き動かす。しかし周囲の戸惑いも
三松堂の経営の傍ら、街の活性化にも力を入れる小林さんでしたが、ここにもコロナ禍の影響が及びました。。
小林さん「客足が途絶える中、早急にコロナ禍に対応していく必要がありました。いよいよ、観光客に向けた土産物店から日常遣いとしてのお菓子として変わっていくしかないと思ったんですよね。
ただ、変わってもすぐに上手くいくわけではありません。小さな街だから人口も少なくて、買ってくれる人といっても頭打ちがあります。正直なところ『津和野が大都市だったら』と思わずにはいられませんでした。近くに大都市でもあればよかったのですが、ないんですよね」
日常的に食べてもらえるお菓子を開発し、販売方法を切り替えはじめた三松堂。津和野から1時間程度のところに住む地域の方々に買ってもらうために、SNSなどを活用して集客を行いました。それが功を奏し、なんとかコロナ禍を乗り切ることができたそう。しかし、長く続く老舗が変わっていく様子に、ためらいを感じた人も多かったようです。
小林さん「事業を継承してからの十数年は変革の連続でした。古くからのお客様の中には、事業の方向転換に戸惑う方もいらっしゃいました。親は何も言いませんでしたが、よく思っていないことも多かったと思うんですよね。従業員の中には、急激な方向転換についていけず辞めていった方々もいます」
今回、新型コロナウイルスのパンデミックを経験したことで、改めて三松堂のこれからを考えるようになったと話されています。
人気の大福から見えてくる、これから
今現在、三松堂の人気商品は新鮮なフルーツを使った大福などが中心です。人気商品から見えてくる今後の展開について、お話を伺ってみました。
小林さん「三松堂の強みは、農家さんに貰った鮮度の高い果実をできるだけ早いうちに商品にして売り切るといった従来のスタイル。ただ、その強みは、今現在の過疎化の進む津和野では成立しないのかもしれません」
コロナ禍によって、津和野に居続ける意味を問うようになった小林さんは、本来の三松堂らしさを発揮できる街に進出したいと考えてるそう。しかし、現段階で『どこへ進出するべきがベストなのか』といった予想が立てづらいのも現状だとし、課題感を持って向き合っていると語っていただきました。
小林さん「とはいえ、どこかに進出すると言っても、先代が繋いできてくれた縁あっての三松堂です。事業承継とともに受け継いだのは、今まで支えてくれた農家さんや周りの協力企業とのご縁もあってこそです。
周囲との繋がりは、これまで先代たちが培ってきてくれた賜物です。その辺りを考えると、近場で今までの関係がより良いものとなる新たな場所へと事業を伸ばしていきたいと考え続けています」
次に繋ぐための事業承継の取り組み
この大変な時代に、事業承継によって小林さんが受け継いだ大切なものとは一体何だったのでしょうか。
小林さん「事業承継の良さは、私が新たに家業に入ったときにもすぐに周囲が私を受け入れてくれたことでしょうか。周囲がまだ未熟だった私を信じて受け入れてくれたのには、先代たちが繋いできてくれた信頼があったからこそでしょう。
あってはなりませんが、今回のようなパンデミックがふたたび起こる可能性は少なからずあります。そのときに、次の世代にこの苦労を引き継がせないことが大切だと考えます。その仕組みを作っていくことが、この時代に事業を受け継いだ私のやるべきことなのかもしれませんね」
私たちの生きる現代は、時代のスピード感が早く先行きの不透明さは強まり続けています。その中で、変わっていこうとする小林さんの姿は、先代の残してきた大切なものを残していくための、時代に適応した事業承継の在り方なのかもしれません。
文:瀬島早織