東京都大田区の蒲田にある梅屋敷駅を降りてすぐ、スタイリッシュな外観が目を引く「仙六屋」。2018年に惜しまれつつも閉店してしまった「福田屋」の味を引き継いで生まれた、地域の記憶を伝える場所です。
福田屋は大正時代の創業から80年、看板商品のクリームモナカは地域の人々に愛される存在でした。福田屋の味を伝えるために、2019年に新たな地から再出発を決断した茨田禎之(ばらだよしゆき)さんも、「福田屋」を愛する一人です。地域の味を残すことがまちづくりのきっかけになるという茨田さんに、どのような想いで継ぐことを決めたのかを伺いました。
喫茶店でも駄菓子屋でもなかった福田屋。突然の閉店
茨田さん「僕は小さい頃から梅屋敷に住んでいて、福田屋さんは奇跡的に残った店のようなところがありました。小学校高学年ぐらいになると、友達同士でまちのいろんな場所に足をのばすようになりました。その一つに福田屋さんがあって、駄菓子屋とも喫茶店とも違う、そういう場所でした」
大人になってからもよく食べに行きましたが、これはいつか無くなってしまうという空気はみんな感じていたと思うんですよ。昔ながらのクリームモナカとはいえ、お店を続けてもらうためにも80円では安すぎると言っていたんですけど、福田屋さんの主人には『値上げは出来ないですよ』と言われました。
そしたらある日『お店を閉めます』と言われて、突然だったんですよね。閉店を知った街のみんなは福田屋さんの閉まったシャッターに、それぞれメッセージを貼っていきました。事業承継を考えたのは、その様子をみて『ちょっとまずいぞ』と感じたからです」
僕がそのままお店を継いだら全く違うビジネスになってしまう
福田屋閉店と人々の惜しむ声を知った茨田さんは、地域に愛された味、記憶を残したいという想いが募ります。しかしなぜ福田屋そのものではなく、お店の看板商品を継ぐことを決めたのでしょうか。
茨田さん「福田屋さんは単なるお店ではなくて、空間というか、地域そのものなんです。福田屋さんが積み重ねた歴史、経営されていたご家族の人柄がお店そのものを作っている、だからお店をそのままを継ぐことは無理だと思いました。
福田屋さんは、お客さんとの時間の積み重ねとセットになっていて、僕がそのままお店を継いだら全く違うビジネスになってしまう。だから福田屋さんをそのまま継ぐことはしませんでした。さりとて、このまま無くしてしまっては、僕だけじゃなく地域にとっても、大事な街の記憶と価値を失ってしまいます」
先代に「継ぎたい」と継げた瞬間、レシピを話しはじめた
茨田さん「お店の全てではなくて愛されてきた商品だけを継ぐ、そういった事業承継や譲渡はもっとあっていいんじゃないかと思ったんです。いろんな地域で昔ながらのお店が閉店するケースは多いですが、事業承継だとビジネス的には折り合いがついても、お店にとってみれば想いを含めた全てを託すことは難しい場合もあります。でも、クリームモナカという商品単位ならばできるかもしれない、そうした想いで継ぐことを考えていました」
とはいえ、クリームモナカだけを継ぐというのは無理なお願いだと思ったので、まずは知人を介して福田屋さんの主人と話す時間を作ってもらいました。『福田屋さんのクリームモナカが大好きで、あの味を継ぎたいんです』と言った瞬間、目の前で主人が突然レシピを話しはじめたんです。こっちが戸惑っちゃいました。
もう一度改めて伺ったときにクリームモナカの味を継ぎたいと伝えると、『私たちは辞めるから継いでくれるだけでもありがたい』と言ってくれました。主人の人柄が良かったからこその展開でしたね」
0.1あれば、そこから作っていくことができる
地域で愛されていた福田屋のクリームモナカを引き継ぎ、まちづくりに活かしたいと考えていた茨田さん。そのためにも決めていたことがありました。
茨田さん「ちょうど、京急電鉄が進めていた高架下の開発計画に携わることになっていました。新しい場所を作るタイミングと福田屋さんが閉店がたまたま重なり、僕らが作る新しい場所で、カフェという業態とクリームモナカを組み合わせて繋いでいくことを決めました。
継ぐだけじゃなくてちゃんとアップデートしたいんです。むしろ繋いでいくことに僕は重きを置いていたので、仙六屋はそのための起点です。たとえば数式で0にいくつ掛けても0のままじゃないですか。0.1あれば、そこから作っていくことができる。クリームモナカを継ぐことはまさにそれと同じです。なくなってしまえばそこで終わりですからね」
「こんな大変なものを作っていたんだ」という気づきと思わぬ問題が発生
茨田さんはもともと、いまのような高架下でカフェをやろうと思っていたわけではありませんでした。ダメ元でお願いして、福田屋からクリームモナカを引き継がなければ、仙六屋はなかったと言います。しかし、実際に福田屋のクリームモナカを作ってみると、「こんな大変なものを作っていたんだ」という気づきと思わぬ問題が発生。
たとえば機械ひとつとっても、すでに廃業したメーカーが作ったものだったので、周辺にある町工場の力を借りて、茨田さんが用意した機械には手を加える必要がありました。仙六屋は福田屋の閉店がきっかけで生まれましたが、地域の力なしには実現しなかったのです。
茨田さん「福田屋さんのクリームモナカは街や人々の記憶と寄り添っていく必要があります。時代に合わせてアップデートしつつも本質的な価値は残さないといけないので、ある意味、おいしくしてはいけなかったんです。現代に合わせて美味しくすることは難しくありません。でも、それだと福田屋さんのクリームモナカではなくなってしまう。みんながそれぞれ自分の記憶と一緒に食べているんです。あの味に触発されて、タイムスリップできることが本質的な価値だと思いました」
引き継いでから値段が150円になれば、ネット上で「それは福田屋のクリームモナカではない」と書かれ、「福田屋で働いていなかった人が続けるのは冒涜だ」ということも言われたそうです。それも間違いではないけれど、なくなるよりは残ったほうがいいと語る茨田さんは、福田屋直伝の味をいつまで続けるのかについては、今後の課題だと言います。
「福田屋」の記憶を「先六屋」を通して残し、次の世代の記憶へと繋げていく
茨田さん「お客さんの中には、他のレシピも継いで販売しないのかと聞く人もいます。でも、僕が福田屋さんになることはできないと言っています。もちろん、福田屋さんが地域に残してくれた価値はほかにもあって、時間をかけてでもいいから少しずつ形にしていきたいと思っています。
ただ、僕にできることは福田屋さんや地域の人々の思いに向き合うことだけです。僕たちに織り込まれている福田屋さんの記憶を、今の店舗を通して残し、次の世代の記憶へと繋げていく。ただ単に同じ味を再現するのではなく、みんながそれぞれに持っている福田屋の記憶に寄り添いたい。仙六屋も、次の世代の人たちに残したいと思って欲しい、それこそが店舗を構えることの価値だと思います」
地域の人々の記憶に寄り添って「そのまま」を受け継ぎ、続けていくことは難しいことかも知れません。けれど、茨田さんにとってそれは楽しいチャレンジでもあります。今後、どのように発展していくのか期待が高まる「仙六屋」と福田屋のクリームモナカ。地域で愛された味は、今もしっかりと人々の記憶の中に息づいています。
文・望月大作