福島県白河市で江戸時代から約300年の歴史を誇る「白河だるま」。「白河だるま総本舗」14代目の渡邊高章(たかあき)さんは、家業を継ぐために24歳で帰郷して以来、新しいことに次々とチャレンジしています。
SDGsの一環として100%紙素材のだるまを制作したり、廃棄予定の紙を原料に製造しただるまでお絵かきを楽しむ「お絵かきだるま」を企画・販売したり、だるまのカプセルトイを作り、全国の観光地に営業したりするなど、その取り組みは多岐にわたります。
視点の多様さと発進力の甲斐もあって営業収益も順調に伸び、その姿は地元の若手承継者を刺激する存在に。白河市で300年続く家業を高章さんが継承するまでの経緯と、今後の展望をお聞きしました。
家業がだるま屋なので、子どもの頃からあだ名は「だるま」
家業がだるま屋なので、高章さんのあだ名は子どもの頃から「だるま」でした。高校卒業後は体育教師を目指し、都内の大学に進学。進学先で「実家はだるま屋です」と話し「だるまを買ったことがある人はいますか?」と聞くと誰も手を挙げない。
祖父母の家に遊びに行くと置かれているから、だるまは知っていても、自分たちは買ったことがないという反応にうっすらと危機感を覚えた高章さん。だるまの啓蒙活動をしようと、学業の傍ら家業の営業活動を始めます。
高章さん「最初のうちはスーツを着て、飛び込みの営業をやっていました。だけどよい反応を得られなかったため、『だるまを商品として使いたい』と依頼が入る方向にシフトしなければと思い、会社のHPを改修しました。家業の営業・広報活動を続けていく中で、自分に向いているなと。体育教師を目指して大学に進学しましたが、家業への意識が大きくなりました」
やがてHPから問い合わせが入るようになり、主に関東圏のセレクトショップや雑貨店とのコラボレーション企画を開拓していきました。
長男が家業を継がないから二男が継いだとは思われたくない
家業を継承するにあたり、父・守栄(もりえい)さんは息子たちのどちらかに継がせたいと考えていました。高章さんが大学3年生になり就職活動を考え始めるタイミングで、すでに社会人3年目の兄と話し合いの時間を持ちました。
兄から「家業を継いでも、継がなくてもどちらでもよい」と言われた高章さんは、白河市に帰り家業を継ぐことを決意。学業の傍ら続けていた家業の営業活動を継続します。江戸時代から蓄積された、だるまの歴史と価値に、自分が得意とする企画営業・広報のスキルを掛け算することで、新しい可能性を発揮できると考えたからです。
高章さん「家業を継ぐ時、『二男である自分が家業を継ぐ以上、圧倒的な実績を作って帰らないと従業員が納得しない』『長男が家業を継がないから二男が継いだとは思われたくない』と考えました。そう思って、営業活動を続けていた時、LINEさんから『正月の企画会議でだるまを扱いたい』という依頼をいただき、シーズン商品を制作することになりました」
白河だるま総本舗はLINEとのコラボをきっかけに、地元メディアで大々的に取り上げられます。この実績をもとに、高章さんは家業に戻ります。
「だるま」を先細りにさせないために
白河市で、だるまは縁起物として人々の生活に浸透していきました。毎年2月11日に、市内の目抜き通りを中心に約500軒以上の露店が並び、約15万人の人出で賑わう白河だるま市はその象徴です。高章さんの祖父は「だるまだけ作っていればいい」と考えていて、実際に祖父の時代はだるま作りだけで生活することができました。
父・守栄さんは「だるま制作だけでは先細りになる!」と祖父の話に危機感を抱いていたと言います。守栄さんはちょうどその時、今の高章さんと同じ20歳代でした。
先細りにしないためにはまず、より良い制作物を効率よく作ろうと、だるまの製造工程を見直します。この頃になると同じ福島県の民芸品である「起き上がり小法師」や「赤べこ」の縁起物としての需要が減っていき、ここでも工房の後継者離れが問題になっていました。
型から作り、張り子の部類にあたるだるまと、起き上がり小法師や赤べこは、製造工程がほぼ同じことから、守栄さんの元に制作依頼が来るようになります。このようにして守栄さんは、だるま制作をベースにしながら新しい業態にチャレンジしていったのです。
高章さん「事業承継というと、一般的には先代がやってきた仕事を、そのまま引き継ぐイメージがあります。承継者もこの形を求めることが多いと思います。だけど僕は、組織の中で足りないところを補いながら承継していくというイメージを持っています」
つまり父親が取り組んできた「だるま作り」を基本としながらも、それにプラスした営業・販売というアクションを起こしていく。高章さんは、事業が成長していくためには、このような姿勢が重要だと捉えているのです。
だるまとの接点を増やすため、観光施設「だるまランド」をオープン!
帰郷し、事業を引き継いでからの高章さんは「1年に1つチャレンジしていく」と決め、だるまをいろいろな要素に因数分解し、スピード感を持って新規事業にチャレンジしてきました。うまくいったものもあれば、そうでないものもありましたが、うまくいった事業はスケールを広げて展開しています。たとえばだるまのカプセルトイは、数台試作したところ好評だったため、一気に台数を増やしました。
5年後の今夏は、だるまを「来て、見て、楽しんでいただく」観光施設「だるまランド」を「七転び八起き」のことわざにちなんだ7月8日、市内にオープンさせました。メーカーが直販店を持つことで、だるまの価値を伝えやすくするためです。
だるまの販売だけでなく、絵付け体験やタブレット端末を利用した「だるまさんが転んだ」ゲームなど、体験できる仕掛けも準備しました。…というのも近年の社会情勢の変化により、人々がだるまに触れる機会が少なくなってきました。機会が少なくなれば、だるまの購入動機も減ります。そこでだるまとの接点を少しでも増やす工夫をしたのです。
「だるまランド」という名称には、地域がディズニーランドのような楽しいイメージになれば良いなという気持ちを込めました。施設には職人の作業場、だるまの企画展示、だるま神社のほか、白河市には地域のみやげ物を帰る場所が少ないことから、地域の名産品を買えるコーナーも設けました。
夢は78億人の「だるま好き」を作ること
「一番シンプルなのは、世界にいる78億人の人がみな『だるまが好きです』と言ってくれるのが理想です」と語る高章さん。
たとえば今、だるま好きが100人だけだとしたら、それを1,000人、10,000人と増やしていくことが高章さんの仕事です。「七転び八起き」「不屈の精神」「諦めない気持ち」など、だるまにまつわる言い伝えを、もう一回掘りおこして磨いていくことが50年後、100年後に活きると考えています。だるまを産業として残していくための方策を、常に考える毎日です。
「衰退産業と思われがちな伝統産業を『夢があるよね』『働きたい!』と思わせる企業にしていくのが承継者としてのやりがい」と語る高章さん。だるまの商品価値を高め、ある程度の価格で売り、従業員の給料を上げるためにはどうしたらよいかと苦心しながら、その目は100年後のだるま産業の隆盛を想像しているかのようでした。
文:武田よしえ