事業承継ストーリー

こだわりの蕎麦屋を承継 引き継ぎを円滑にしたのは「互いに感謝する気持ち」

札幌から支笏湖(しこつこ)へ向かう国道453号は、北海道有数の観光ルートです。沿道には総合アート施設「札幌芸術の森」もあり、休日には多くの行楽客が往来しています。

そんな国道に面している道産そば「一膳」は、その名の通り、北海道産の蕎麦粉を使ったそばと天ぷらが評判です。斎藤一輝さんは、2022年7月に勤務していた会社を退職し、父親の正典さんに職人としての手ほどきを受けています。家業を承継する道を選んだ理由を伺いました。

正典さんの人生「大学受験から料理人の道へ」 

一膳の初代である正典さんは、北海道名寄市出身です。料理の道に進むきっかけは、思いがけない出来事が発端だったと振り返ります。

正典さん「大学に進学するつもりで東京まで行きましたが、思うところがあり、結局受験せずに北海道に戻ることにしたんです。『この先どうしよう』と考えていたところ、飲食店の看板が目に入りました」

帰郷後は地元・旭川の飲食店に就職し、料理人としての経験を重ねた正典さん。蕎麦との出会いは東京に出向いた修業時のことでした。

正典さん「修業先の近くに蕎麦屋があり、そこで蕎麦の作り方を教えてもらいました。その時は蕎麦屋を開店するなど思ってもおらず、料理の知識の一つと考えていました」

もしかすると、この時すでに未来に向かって歯車がまわり始めていたのかも知れません。

家族と一緒に過ごす時間を求めて居酒屋から蕎麦屋に転換

料理人としての修行を重ねた正典さんは、満を持して旭川で居酒屋を開店。全国から様々な食材を取り寄せて提供する人気店でしたが、あることを機会に蕎麦屋に転換しました。

正典さん「居酒屋は夜がメインのため、家族との団らんの時間が持てませんでした。一輝が生まれたことで家族と一緒にいる時間を大切にしたいと思い、昼の営業がメインの蕎麦屋に転換することを決意しました」

その後、お店の経営は順調だったものの、様々な理由によりお店を手放すことに。いくつかの店で働いたのち、一膳のオーナーが後継者を探していることを耳にしました。

正典さん「前のオーナーは、札幌駅近くにも出店しており、そこに注力したかったようです。当時は改装する資金がなかったので、屋号や店舗はそのままに、一膳を引き継ぎました」

2017年に「道産そば一膳」をオープンしますが、そこには弊害もあったと話します。

正典さん「屋号や店舗を引き継ぐということは、これまでの良い評価も悪い評価も受け入れなくてはなりません。私の理想を求めて、細麺に東川産、田舎そばは上川産の蕎麦粉を使い、つなぎの小麦も北海道産にするなど、これまでと大きく変えました」

今では正典さんの味が知れ渡り、たくさんの人が訪れています。

一輝さんの人生「いずれはキャリアコンサルティングの道を考えていた」

一膳を承継したばかりの一輝さん。高校卒業後は陸上自衛隊に入隊し、航空科に配属されました。各種ヘリコプター等をもってヘリ火力戦闘、航空偵察、部隊の空中機動物資の輸送、指揮連絡等を実施して、地上部隊を支援するのが役割です。

パイロットなどの幹部自衛官が多い部隊で、陸士クラスが配属されることは珍しいことでした。そのため、後輩が配属されることもなく、ひたすらヘリコプターを整備する日々に将来性を見出すことができなくなっていたと振り返ります。

一輝さん「2年間の任期満了を機に自衛隊を退官し、アミューズメント会社に転職しました。オープニングスタッフとして厨房を任され、食材の切り方など調理の基本を覚えました。今思えば、その経験が現在に繋がっているような気がします」

アミューズメント会社では非正規雇用だったため、将来性に不安を感じて約3年で退職。携帯電話販売員などを経て、その縁で2017年に大手人材派遣会社に転職しました。

一輝さん「会社には5年間在籍しました。そこでノウハウを得て、いずれは中小企業診断士や、キャリアコンサルティング技能士などの資格を取得し、転職か独立する道を考えていました」

退職留意の理由に、自分がパズルのピースの一つだったことを実感

そば職人とは異なるビジョンを描いていた一輝さん。しかし、母親から正典さんの手が重度の腱鞘炎で仕事を続けることが困難なこと、いずれは店を継いでほしいと話が持ちかけられ、心境に変化が生まれました。

一輝さん「会社で大きなプロジェクトを任され、一時は立場も賃金も上昇しましたが、それが終了すると元に戻されました。自分の頑張りを認めてもらえていないことに落胆していた時期でもありましたし、家族をサポートしたい気持ちが強くなっていました」

会社に退職の相談をすると、上司からは「あと2か月くらいは頑張ってもらえないか」と留意を求められたといいます。

一輝さん「会社は私を必要としているのではなく、そこにはまるパズルのピースが欲しかったのだと確信しました。しかし家族は私を必要としてくれている。この一言で迷いは吹っ切れました」

奥さんの「やりたいことをやってみれば」という言葉にも背中を推され、一輝さんはそば職人の道を歩む決心を固めました。

サラリーマンからそば職人の道へ

家業を継ぐことを決意してからは、週末に店を手伝ったり、自ら本やインターネットで学習するなど、できる限りの準備を進めました。2022年6月30日付けでサラリーマン生活を終え、現在は毎日厨房に立つ生活です。

一輝さん「お客さんが来なければ1円にもならず、自営業はサラリーマンとは別の苦労があります。常連さんから『味が変わった』と言われるのも悔しい。まずは父親が守り続けてきた味を自分のものにしたいです」

現在は師匠である正典さんに仕事を確認してもらいながら、一つ一つ技術を習得しています。今後は仕入れなども担当し、店の経営にも関わる予定です。

正典さんは「息子はなかなか筋がいい。跡継ぎがおらず、廃業する店が多い中、一輝が継いでくれてよかった」と、嬉しそうに目を細めていました。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が発令されるたびに、飲食店は時間短縮営業や休業を迫られました。「それでも続けてきた父親の店を今後も残していきたい」と意気込む一輝さん。親子が互いに感謝しあう気持ちがあってこそ、事業をスムーズに引き継ぐことができたことができたのでしょう。

文:吉田匡和

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