北海道網走市に、鉄道ファン憧れの「鉄ちゃんと鉄子の宿」があります。客室はすべてトレインビューで、窓から石北本線を走る列車を見ることができます。鉄道好きが講じて宮城県出身の郡山卓也さんが事業を承継し、宿泊客からオーナーに転身しました。
旧国鉄の保養所を改装した鉄道ファン憧れの宿
「鉄ちゃんと鉄子の宿」は、昭和23年に建設された旧国鉄の保養所を利用した宿泊施設です。最初は網走駅の隣にありましたが、昭和35年に網走湖を望む現在地に移築。国鉄職員の福利厚生に使用されていました。
国鉄民営化にともない売り出され、近隣で宿泊施設を営む「温泉旅館もとよし」が購入。「温泉旅館もとよし別館」として利用されたのちに、2010年5月に鉄道に特化した「鉄ちゃんと鉄子の宿」としてリニューアルしました。
館内には鉄道グッズや切符、書籍などがあり「鉄道博物館」といった趣。客室のほとんどが和室に改装されていますが、保養所時代の面影を残す二段ベッドの部屋もあります。
子ども向けのプラレールコーナーや、鉄道模型を持ち込んで自由に走らせることができるレイアウトルームなども用意。鉄道ファンやファミリー客が宿泊しています。
宿泊客からオーナーに。鉄道ファンの夢を継承
宮城県出身の郡山さんは、旅行で訪れた北海道が気に入り、自治体が募集する地域おこし隊に参加して、近隣の町に移住しました。3年前、お客さんとして「鉄ちゃんと鉄子の宿」に宿泊。その後も立ち寄っては、当時の管理者と鉄道談義を楽しんでいたそうです。
その後、都合によって管理者不在となり、オーナーである「温泉旅館もとよし」の宮本代表から「人手が足りないので営業が難しくなりそうだ」と、宿の承継の相談を受けます。
郡山さん「前の管理者から宿の経営について話を聞いていたので、『ICTの活用で変えていけば何とかなる』と思っていましたが、宮本代表の経営哲学を伺い『考えているほど簡単なものではない』と思いました」
立地や築年数を考えると提示された金額は高額ながら、宮本代表が購入したのがバブル期で高価だったことや、付加価値を理解して承継を承諾しました。
郡山さん「宮本代表は他の方にも譲渡の相談をされていたそうですが、資産価値と譲渡価格の折り合いがつかなかったようです。好きな人にはお宝でも、不動産としては不便な場所に建つ古い物件ですからね」
郡山さんは、継承するまで1年間の猶予をもらい、どうすれば集客につながるか、何を残して何を改善するべきかを考える時間に充てました。
郡山さん「宮本代表は取材などを断っていたため、宿の情報が出回っておらず『知る人ぞ知る』という感じでした。また、宮本代表の年齢的にもSNSなどで自ら情報発信することは難しい状況です。プライベートで宿泊していたフリーライターから『宿泊体験を記事にしたい』と申し出があり、鉄道専用サイトに記事が公開され、記事を見た人が少しずつ宿泊するようになりました」
宿泊客は鉄道ファン7割、ビジネスユース3割
2022年4月に「鉄ちゃんと鉄子の宿」が、郡山さんに譲渡されました。宿泊客の7割を鉄道ファンが占めていますが、ビジネス客の宿泊も3割ほどあります。
郡山さん「自分が継承してみてビジネスユースが3割もあることに驚きました。網走には宿泊施設が少ないので、そこから宿泊客が流れているようです」
新型コロナウイルスの感染者数が落ち着き、人の動きが活発になったことや、再びメディアに掲載されたことなどにより宿泊数は堅調。コロナ禍前の5年間と比較しても増加傾向にあると言います。
郡山さん「客室は7室あり、広さも十分確保していますが、一人旅のお客さんが多いので、極端な収益増は望んでいません。少数経営なので宿泊者が多すぎてもサービスの質が低下してしまいますからね」
「鉄ちゃんと鉄子の宿」は、4月から10月中旬までのみ営業しており、冬期は閉鎖されます。
郡山さん「建物が古く、断熱性が低いことや、繁忙期を外れると宿泊客が激減するので、閉鎖したほうが固定費はかかりません。今年の冬は開業1年目の記録をレポートにまとめようかと思います」
小さな鉄道リゾートを目指す
次年度は、宿の周辺にトロッコ鉄道を開業する予定です。
郡山さん「建物のまわりに砂利を敷いた際に『これを活かしてレールを設置できないか?』と思いつきました。枕木やレールなどを用意して、毎日コツコツ作業しています。トロッコは専門業者に発注しました。来年は客室の時間貸しも実施する予定で、館内の展示物を見たり、プラレールで遊んだり、体を休めたり、様々なニーズを期待しています」
将来的には、隣接している「温泉旅館もとよし」の承継も視野に入れています。
郡山さん「細長い空き土地があるので、承継した際は実物の鉄道車両を設置して、その中で宿泊できるようにしたいと構想しています」
郡山さんの努力とひらめきによって、「鉄ちゃんと鉄子の宿」を核とした鉄道リゾートを作る夢は広がっています。事業を承継するだけでなく、その後にどのように活用していくか。無限の可能性を示す取り組みは、全国の承継者の参考になることでしょう。
文:吉田匡和