「人を、暮らしを、ビジネスを、タオルで豊かにする」を理念に掲げ、東京は日本橋で毎年数千件のオリジナル製品を世に送り出しているのが「日東タオル株式会社」です。
70年以上に渡って多くのお客様に愛されてきた歴史を持つこの老舗タオル問屋に、新しい風を吹き込んでいるのが三代目の鳥山貴弘さん。
安価な輸入製品の流入と国内消費の低迷を背景に、割高な国産タオルが市場から押し出され苦戦が続くなか、価格競争に左右されない高付加価値路線へ挑戦するなど攻めの姿勢で奮闘しています。
家業の伝統を守りつつも、革新を進めるという一筋縄ではいかないテーマで闘う貴弘さん。家業に入ることになった経緯、そして家業に入ってからの取り組みや今後の展望についてお話を伺いました。
タオルといえば「日東タオル」。わずか15年で5棟の自社ビルを建設した創業者
日東タオル株式会社は1947年に創業後、わずか15年で日本橋に自社ビルを5棟建設するほど急速な発展を遂げました。当時の従業員は100名ほど。年始の挨拶として贈られる年賀タオルが大きな収益源となっていました。
貴弘さん「黄色い壁面に赤文字で“日東タオル”と社名が入った当社のビルは、日本橋や馬喰町ではかなり目立つ存在でした。『タオルといえば日東タオル』『タオルの卸しデパート』というイメージを持たれていたほど事業は順調に拡大していました」
幼い頃から家業を見て育ってきた貴弘さん。創業者である祖父の鳥山昇さんと年齢がちょうど人生一回り分の60歳離れていることから、「一代で財を成した商才を受け継いでいるに違いない」と一族からの期待も大きかったそうです。
貴弘さん「社会勉強のために大学卒業後は、仙台で医療系のコンサルタントとして10年ほど働きました。その後東京に戻って、小さい頃からの夢だった教師の職に就き2年間働いた後に、専務取締役として日東タオル株式会社に入ったんです」
期待されて家業に戻った自分を待ち受けていた、右肩下がりの経営状態
そして2014年、いよいよ家業に戻ってきた貴弘さんを待ち受けていたのは、思っていた以上に厳しい経営状態でした。
貴弘さんが日東タオル株式会社に戻った当時の問屋業界は、下降の一途を辿っていました。アジア諸国からの安価な輸入品の市場浸透による競争激化や、国内での消費低迷など、日東タオルを取り巻く環境は創業時代から大きく変わっていたのです。
2代目社長である貴弘さんの父、博司さんが平成の厳しい不況の時代を何とか切り抜け、日東タオルを守り続けていましたが、やはり経営状況は好調とは言えませんでした。
貴弘さん「前職時代に父と会社について話す機会は何度かありましたが、やはり正式に入社するまでは収益構造などの詳細は知らされていませんでした。父は意図的に話さないようにしていたのだと思います。ありえない話ですが、例えば私が自分のことだけ考えて『日東タオルを畳んでビルを3棟売却する』なんて言いだしたら大変です。家業を継ぐというのはそれくらい責任の伴う選択だということかもしれません」
全盛期とは異なる、厳しくて辛い現実。会社のために、断腸の想いで事業を断捨離
経営を立て直すため、貴弘さんが最初に取り組んだのが事業規模の適正化でした。当時は、1日1組も来客が無い店舗に複数スタッフが配置されていたり、在庫状況が各店舗で共有されていないため多く仕入れすぎてしまったり、いわゆる「無駄が多い状況」でした。決算書を見ながら貴弘さんは断腸の思いで、5店舗あった店を3年間で2店舗にまで絞ります。
貴弘さん「父からすれば、分かっているけど見たくない現実を突きつけられる状況です。言い争いもよくしました。何もしなくても次々にお客様が来店し、年末には断りたいくらい電話が鳴り響いていた全盛期の時代を知っている父にとって、店を畳むのは辛い選択だったと思います。
私としても、入社前は店を手放すなんて思っていなかったです。数十年前の領収書や余ったタオルを見つけたときは、かなり複雑な気持ちになりました」
それでも社員みんなが前を向いて働けるようにするためには、やるしかない。再起を誓った貴弘さんにある日、衝撃的な出会いが訪れます。
会社の無駄は無くした。次に成長を加速させるためのプランを模索
貴弘さんが入社し2年が経った頃、事業規模の適正化がだいぶ進み、不必要な経費が削減されたことで経営はある程度改善されていました。しかし、成長を加速させるための具体的なプランは未だ描けていませんでした。このまま同じことを続け、再び活気を取り戻している日東タオルのイメージがどうにも湧かなかったのです。
そんなときにある展示会で出会ったのが、東京は青梅にあるタオル専門メーカーホットマン株式会社の社長、坂本将之さんでした。
貴弘さん「1時間ほど立ち話をしたのですが、『こんなに分かりやすい言葉でタオルについて語れる人がいるなんて!』と終始驚きっぱなしでした。豊富な知識と豊かな創造性と溢れる情熱、それらを坂本さんは持っていました。『ぜひ坂本さんと一緒にタオルを作りたい!』と思ったんです」
日東タオルの復活の契機になるに違いない。そう思った貴弘さんは、日東タオルとしてホットマンと協業することを考えました。しかし、製造小売業であるホットマンは卸売業とは提携をしていません。
「それならば、会社を立ち上げてしまおう!」。そんな大胆な経緯で設立されたのが、タオルの企画会社である「モラルテックス株式会社」です。モラルテックスが立ち上げた自社ブランドに技術協力としてホットマンに参画してもらうことになりました。
タオルのプロが集結して完成した世界一のタオル
貴弘さん「同じ頃に、私のタオルの師匠である日本オーガニックコットン協会の森和彦理事長とも新しい企画をスタートさせる話が動きだしていたので、師匠にもお声がけさせてもらいました。これをみんなのプロジェクトにすれば、世界一のタオルが出来上がると思ったんです」
こうしてタオルのプロフェッショナルたちが力を集結させて完成したのが、長年使いたくなる世界一のタオル、「オッキデ」です。
このタオルは高い評価を受けただけではなく、新たな道へ踏み出すきっかけにもなりました。安定して需要のある定番商品を主に扱うB to Bの「日東タオル」とは別に、様々な企業やクリエイターとコラボし、斬新なアイディアで新たなタオルの可能性を探るB to Cの「モラルテックス」を発展させることで、伝統を守り革新を進めるという戦略をとることができたのです。
貴弘さん「2017年には、モラルテックスが運営するカフェ&セレクトショップ『モラルテックス・ラボ』も新たに開設しました。これはある意味、私たちの存在を示す『旗』です。旗を立てたことで、これまで直接関わりがなかった人や企業とのユニークな交流が生まれました」
旗を立てることで生まれた数々のコラボ案件
モラルテックスという旗を立て、自分たちの思いや挑戦をSNSやメルマガなどで発信し続けた結果、数々のコラボ案件が実現しました。
その一つが、江戸切子のトップブランド「華硝(はなしょう)」との共同プロジェクトです。このプロジェクトでは、「米つなぎ」という江戸切子随一の気品を放つ紋様を、ホットマンの技術協力によって完成したあの「オッキデ」に施したオリジナルタオルが開発されました。
貴弘さん「この『米つなぎ紋様タオル』を2021年3月にクラウドファンディングに出したところ、なんと公開3日で当初の目標金額の50万円を達成することができました。初めての挑戦だったので不安もあったのですが、あまりの早さに開いた口がふさがりませんでした」
さらに、野村不動産グループとの「客室用タオルのプロジェクト」もコラボ案件の一つです。「オッキデ」をベースに、同グループのフラグシップホテル「NOHGA HOTEL AKIHABARA TOKYO」(ノーガホテル秋葉原)のコンセプトに合わせたオリジナルタオルを開発しました。驚くことにこのプロジェクトは、同ホテルの開発部の方が、町歩きをしている際に偶然モラルテックスが運営するカフェを見つけて始まったとのこと。旗を立てることの重要性がひしひしと感じられるエピソードです。
そして、モラルテックスがこうした様々なコラボレーションを実現できる理由は、どんな相談にも柔軟に応えることのできる「対応力の高さ」にあります。創業よりタオルー筋、多くのお客様に誠実に向き合い、毎年数千件のオリジナル製品を提供し続けてきた日東タオルを背景に持つ独自の強みをいかした戦略となっています。
貴弘さん「対応力の高さに加え、私たちのもう一つの強みは誠実さです。タオル開発では、サンプルとして紙面で提示していた色と、実際にタオルとして出来上がった色が少し異なるという現象が時々起こります。そういうとき当社では、お客様にご納得していただけるまで、可能な限り社員総がかりで改善努力をします。そういった誠実な姿勢も評価していただけているのだと思います」
事業承継は第二創業「リスクが低いのだから挑戦しない手はない」
独自の強みを生かして挑戦を続ける貴弘さん。最後に、事業承継の魅力について伺いました。
貴弘さん「私は事業承継を第二創業だと思っています。つまり、0からの創業よりリスクが少ないということです。先代達のおかげで信頼もあれば、比較的大きな融資を受けることもできます。変な話ですが、私のようにいきなり社長として入社しなければ、今の時点では何か失敗しても責任をとるのは社長である私の父です。
ですから、事業承継は見方によっては、かなり準備が整った環境で、低リスクで挑戦できるという非常に美味しいチャンスと捉えることもできます。せっかくの機会ですから守りに徹するのではなく、起業家マインドを持ってもいいのではないでしょうか?少なくとも私は、今後もたくさんの挑戦を続けていきたいと思います」
思い切った縮小で経営不振から回復し、モラルテックスという旗を立てたことをきっかけに高付加価値化という変革の道に踏み出した貴弘さん。日東タオルの高い技術力と品質、販売力を背景に、伝統を守りつつも挑戦を続ける貴弘さんの活躍からは、今後も目が離せません。
文:佐野友美