群馬県北部に位置する川場村(かわばむら)。北西は谷川連峰、北東は尾瀬の湿地、北は武尊山(ほたかやま)南は赤城山に囲まれた自然豊かな農村です。
村の中心部から車を走らせること十数分、りんご畑の続く山中に「あるきんぐクラブ・ネイチャーセンター」はあります。創設者竹内成光(たけうちしげみつ)さんからあるきんぐクラブを承継された辻田洋介(つじたようすけ)さんにお話を伺いました。
自然体験ができるイベントを行うあるきんぐクラブ
あるきんぐクラブは、森と人との関わりをテーマに、年間を通して自然体験ができるイベントを提供するNPO法人です。週末や学校の長期休みを中心に、子ども達やファミリーが参加するキャンプや合宿を実施しています。
敷地内にある宿泊施設「山の家」では民宿を営み、妻の直子さんが地元の食材をふんだんに使った料理を振る舞います。宿泊客は、直子さんの料理を味わいながら、川場村の自然の中で過ごすことが可能です。
あるきんぐクラブの最大のイベントは、今年(2021年)で38回目を数えるサマーキャンプ。武尊山麓のミズナラの森での2週間のノンプログラムキャンプです。もともと放牧場だった電気も水道もない場所のため、トイレを掘ったり、ホースで水を引いたり、暮らしに必要な設備を子供達自らで必要なだけ整えます。時間に縛られず、その日その時の「やりたいこと」に従い、森の中で自由に暮らす、そんなキャンプです。
辻田さんがこのサマーキャンプを初めて体験したのは、18年前のことでした。
面白くてやりがいのある仕事がしたい。求人情報誌で見つけた長期ボランティア
辻田さんの生まれは北海道。転勤族の父親の仕事の都合で、大学に入学するまで名古屋、岩手、東京など、各地を転々としました。法学部在籍中に教職課程を履修し、教員採用試験を受験しますが不合格。アルバイト求人誌の片隅にあった「1年間日本のどこかでボランティア」というフレーズに惹かれて訪れたボランティア支援団体の説明会で、あるきんぐクラブと出会いました。就職活動をせずボランティアの道を選んだのは、経済的な豊かさよりも面白くてやりがいのある仕事がしたいと思ったからでした。
ボランティアに応募した辻田さんは、あるきんぐクラブ創設者・竹内さんご夫妻のもとで、2003年の4月から1年間、住み込みでスタッフとして働きます。川場村の四季折々移り変わる自然の中、週末毎に行われるイベントやその準備をして忙しく過ごしました。
辻田さん「ぼくはもともと都会育ちで、キャンプなんてまともにしたことがありませんでした。自分の力の足りなさを感じたんです。竹内さんは当時50代半ば。自分の父親と同年代ですが、すごいエナジーがあって『敵わないなぁ』って思いました。
あるきんぐクラブ最大のイベント夏のキャンプも、全然楽しめない自分がいました。愉しめるだけの能力がないというか。大人として期待にこたえられるだけの経験値がないなぁと思いましたね」
1年間が経過し、竹内さんに「いつかあなたを越えます」という挑戦状と題した置き手紙をして、あるきんぐクラブを後にします。
3つの職場を経て、再びあるきんぐクラブへ
その後辻田さんは、あるきんぐクラブで知り合った友人の紹介で、カンボジアの国境近くの村で学校支援活動に携わります。ビザ代も全て自分持ちの完全ボランティアで、1年と決めて参加しました。
辻田さん「カンボジアの子どもたちに日本語を教えて過ごしました。カンボジア語を教わりながら。学校がない村に学校ができる喜びってすごくて。学校教育は未来だなと実感したんです」
カンボジアで学校教育の可能性を感じた辻田さん。帰国後にふたたび教員試験に向けて猛勉強をし、横浜市の教員採用試験に見事合格。横浜市内の中学校で社会科の教師として活躍しますが、3年で学校を後にし、知人に紹介された児童相談所で働き始めます。
辻田さん「学校にいるときは子どもはもちろん、親とも闘いの日々でした。児童相談所では子どももしんどいことになっているけど、親も悲劇ばかりで。これは学校や児童相談所個々の問題でも、子どもだけの問題でも親だけの問題でもなく、社会全体に問題が多すぎるんだなぁと思ったんです」
そんな折に、久しぶりに竹内さんに再開し、後継者を探していると告げられます。辻田さんは、あるきんぐクラブの承継のリアリティはないまま、「とりあえず職員として」働くことにしました。
こうして2010年4月に、辻田さんは7年ぶりに川場村での生活を再開します。
戻ってきて、気づきがたくさんあった
あるきんぐクラブ創設者の竹内さんは、世田谷でプレーパークなどと協力し、大都会の中で子どもが泥だらけになって遊べる場所を作るなど、自主保育※の実践者でもあり、保育者の先駆けでもありました。(※保育園や幼稚園に預けるのではなく自分たちで育て合いをしようという親の集い)
「日々目覚ましい勢いで成長していく子どもを親が見られないのはもったいない、親が子どもの成長をそばで見守ろう」という理念は、子どもの自然な成長に価値を見出す社会をつくることにつながる。
辻田さん「大学を出たばかりのころは、保育なんて全然ピンと来なかったんです。でも、カンボジア、学校、児童相談所を経由して、子どもの事情とか社会の事情が自分なりに分かってここに戻ってきて、『なるほど、そういうことか!』という気づきがいっぱいあったんです。
子どもの成長を親が見守れる社会づくりをーー自主保育にはそんな問題提起もあったのだと思います。それはひいては人生観や仕事観を見直すことにつながる。そういう意味ではこの取り組みは社会運動なのだと理解しています。
あるきんぐクラブは、子どもの成長にもっと長い目で関わっていきたいと願った竹内さんが作りました。小学生になっても、中学生になっても、大人になっても関わっていけるように。今は自然豊かな川場村へ拠点を移し、あらゆる年代の人が関われる場所へと成長しました。
そういう背景があるこのあるきんぐクラブを、学校教育や児童相談所にかかわった人間がここをやっていることは意味があると思うんです」
以前は気が付かなかったあるきんぐクラブの意義を感じ、承継への気持ちが芽生えていきました。
事業承継は、世の中のロスを減らすための大切な思想
こうして2013年に妻直子さんと結婚し、2014年のサマーキャンプから竹内さん夫妻が抜け二人にバトンが渡されました。2017年に宿泊業も引き継ぎ、承継が完了しました。
あるきんぐクラブの理念は、自然と人、人と人。
自然とのかかわりはもちろん、参加者との関係性を大切にしています。
辻田さん「2週間のサマーキャンプに小学生の子どもをはじめて参加させるのに、『参加希望』とだけ書いたメールの申し込みが届くこともあります。そんなときは長いメールを返します。
『会ったこともないですよ、そこに本当に子どもを2週間預けていいんですか? 本人が参加を希望していなかったら、かわいそうですよ』ってね。サマーキャンプに子どもが本当に行きたいって言えるための1年間のプログラムを作っています」
昨年からつづくコロナ禍で、どの宿泊業者も厳しい状況が続いています。
辻田さん「コロナ禍で確かに宿泊客は減少しました。でも、この40年の歩みを知るたくさんの人たちが支えてくれたから、なんとかやってます。そういう『縁』も承継しましたから。施設もそっくり譲り受けましたが、大切に使えばまだまだ使える。なにせ承継、初期投資にかけるロスはないんです。ランニングコストはかかりますけれど、いままでの事業をすべてフルに回さないといけないという焦りはないんです」
多額の借入金があれば、収益をあげるために人や自然への配慮が後回しになっていたかもしれません。辻田さんは「事業の理念を優先しながらやってこれたのは第三者承継のいいところ。第三者承継は、世の中のロスを減らすためには大切な思想」といいます。
辻田さん「承継されたものは承継するつもりなんです。3代目が現れれば、承継のタイミングはいつでもいい。一緒にやりながらでも、サポートしながらでも。僕もここの暮らしが好きなので、それを維持していけるのであれば」
早くも後継者について言及する辻田さんですが、事業承継であるきんぐクラブを「取得した」認識より「預かっている」認識が強いからかもしれません。
取材に伺ったのは、サマーキャンプの迫る7月下旬。
「今年のサマーキャンプが、楽しみ」と笑う辻田さんの横顔は、夏の太陽にも負けないエネルギーに溢れていました。
文:林夏子