2020年、宮崎市で上半期購入頻度・支出金額が全国一位となり大いに話題となった「餃子」。あの宇都宮市や浜松市をおさえての全国一という快挙、そしてコロナ禍の中での久々の明るい話題に県民は湧きました。今もメディアでたびたび特集されたり、各地で餃子イベントが頻繁に行われています。
そんな機運の高まりのなか、俄然注目を集めているのが、宮崎市卸売市場内にある「株式会社屋台骨」。こだわりの宮崎ラーメンと100%宮崎産原料を使用した「宮崎ぎょうざ」を提供する専門店です。屋台骨統括マネージャーの渡辺愛香さんは、現在宮崎市ぎょうざ協議会の会長も務めています。
元々渡辺さんは、餃子の製造会社「有限会社アピール」の社長の娘で従業員でした。そして2016年、社長の健康面でアピールの廃業を余儀なくされていたところ、取引先であった屋台骨の代表田中周作さんが声をかけ事業承継をしました。
ラーメンと餃子。田中さんと渡辺さんの最強タッグによる挑戦がはじまりました。
それぞれの目線で見てきた、先代の背中
今でこそ様々な場所で宮崎県産の餃子を目にしますが、1996年のアピール創業当時、宮崎市のスーパーにおいてる餃子はほとんどが県外産。その中で唯一アピールだけが宮崎市産の餃子を製造し卸していました。餃子を愛し作り続ける先代の背中、そして悔しい廃業の危機を見ていた渡辺さんと田中さんは、当時をこのように振り返ります。
渡辺さん「父は、従業員が職を無くしてしまうということをずっと悩んでいて。といっても私があとを継ぐ覚悟もなく、当時はその状況を受け入れるしかありませんでした。諦めかけていたその時、田中さんから“もったいないから一緒に宮崎の餃子を盛り上げよう”と声をかけてもらい、とても救われました」
田中さん「屋台骨に勢いがあったとは言え、従業員6名の受け入れは簡単なことではありませんでした。でも、渡辺さんのお父さんの創業者としての気持ちが痛いほどわかったんです。餃子の話をすると止まらないんですよ。心底まだやりたいんだろうなと。それに当時はスーパーで宮崎生産の餃子が売られてなかった。本当にもったいないと思いました」
取引先という枠を超えて、経営者の先輩として面倒を見てくれていた先代の気持ちを引き継ぐ決意をした田中さん。渡辺さんもはじめは合流しましたが、入社時から「一年で辞める」と決意していました。
「最後に一花咲かせてみらんね?」からの問い合わせ殺到
渡辺さん「やっぱり創業者の娘がいるのは、すごくやりづらいだろうなと。どうしても、前の会社のやり方を引きずってしまいそうな気がして。覚悟のない私がやるより、勢いも熱意もある田中がやるほうが、絶対いいと思ったんです」
ラーメン事業部にいきなり餃子事業部が加わり、大きい壁を感じてた渡辺さん。辞めることが前提でモチベーションがあがらない日々に、田中さんは毎日のように話をしてくれました。
田中さん「辞めるくらいなら自分でお客さんが喜んでくれるようなプランを考えて、一花咲かせてみらんね?と伝えました。当時は相当やり合いましたが(笑)、蓋を開けてみると、なんと問合せが殺到したんですよ」
渡辺さん「自分で原価計算して、市場の中でチラシを配って。今考えると恥ずかしくて見せられないんですけど、ダンボールや画用紙に書いてお店にPOPを出したりしてました。お尻に火がついたような状態だったんですよね。“もう辞めるんだから恩返しがしたい”という一心で。そうすると考えたプランメニューがすごい売れて。餃子事業部も盛り上がりましたし、私の中でも喜びに変わりました」
逆境を乗り越え、利益を出せる事業へ成長
渡辺さんも辞めるのを思いとどまり、一筋の光明は見えたものの、その後も苦労は続きました。
田中さん「最初の2年、めちゃくちゃ苦労しました。ラーメン屋の利益を全部餃子に突っ込んでるんですけど、なかなか数字が改善しない。当時の餃子事業部の従業員には『ラーメン屋なのに、餃子なんて引き継ぐべきじゃなかった』と何度も言われました。先代はものすごい仕組みをつくっていたのだなと。お父さんすごいよ、って何度も彼女に伝えていましたね」
渡辺さん「売れてない状態が目に見えてありましたし、餃子卸しのころは味を変化させないのが重要でしたけど、飲食店では常に新しい味にチャレンジしないといけない。先代の餃子で育ってるから、変化を恐れてしまっていたんです。でも彼も負けずに変化球をどんどん出してきて(笑)、徐々にお客さんがついていきました」
その後もイベントに出店したり市場の通路で販売したりと、直接お客さんの声を聞きながら改善を続けてきた二人。猪突猛進で破天荒な田中さんと、経理上がりでバランスをとるタイプの渡辺さん。そこから味と製造スピード、原価率のはざまでトライアンドエラーを繰り返しながら現場の機械化も果たし、現在では完全に利益がでる事業部に育っています。
屋台骨の餃子から、「宮崎のぎょうざ」へ。「宮崎市ぎょうざ協議会」設立
そして2020年上半期、宮崎市の餃子の消費量/購入頻度が日本一になったことを受け、宮崎市をあげて盛り上げていくべく「宮崎市ぎょうざ協議会」が設立され、屋台骨の渡辺さんが会長に就任しました。
田中さん「これから先、屋台骨として事業展開する上で大事なことは、宮崎ぎょうざのパイオニアとして認知されることだと思っています。父親の意志を継いだ彼女が一石を投じて、宮崎ぎょうざ自体の認知拡大をして、その後自社の利益につながるといいなと。会長なので、他の事業者さんを優先的に紹介するんですけど(笑)」
渡辺さん「会長なので、他のみなさんが先です(笑)」
屋台骨という一事業者から、宮崎ぎょうざを背負う存在となりつつある二人。その目は宮崎ぎょうざ全体の未来を見据えています。
田中さん「他の事業者にも、餃子が売れたら生産者さんを紹介させてよって言っています。できる限り宮崎県内の農家さんから仕入れていただきたい。屋台骨の餃子は100%宮崎産の原料をつかっています。そういう風に宮崎の農業振興にもつなげていきたい」
宮崎市ぎょうざ協議会は、クラウドファンディングも開始し、さらに宮崎の餃子を盛り上げるべく活動を始めようとしています。
事業承継を経て、積み上がった信頼
事業の譲受先と譲渡元という関係を大きく飛び越えて、今や二人は「共同経営者」として強い絆で結ばれています。
渡辺さん「田中さんは、事業に関する嗅覚やスピード感、決断力がすごい。思う存分これからも前を走ってもらいたいと思っています。また、自分もそうなれるように、とくに餃子に関しては自分が意思を持って決断できるように成長していきたいです」
田中さん「彼女にはこれから先も自分の意見を信じて欲しいと思う。この6年間で経験してきた強みと意見を貫き通してほしい。こけてもいいから、貫き通してほしい。そうすれば絶対成功すると信じています」
喧嘩するほどぶつかり合ってきた二人が、6年間の苦しい時期を支え合い、乗り越えて成長してきた姿は、まさに「相棒」。ぜひ屋台骨の餃子を手にとった際は、餃子を食べながらお二人の顔と想いを思い出してみてくださいね。