事業承継ストーリー

「すべては糸でつながっていた」。嫁ターンをして13年、挫折から全株式買取までの軌跡

延岡の人なら誰でも知っていると言われるほどの有名店「ユアーズコメヤ」。86年間地元の人々に愛されてきた老舗の衣料品店です。現在ユアーズコメヤを運営しているのは、​延岡を拠点に経営者をサポートしている株式会社B’Sコンサルティングの馬場拓さん。

関西で中小企業診断士の会社を創業していた馬場さんは、2007年に妻の愛子さんとともに宮崎に「嫁ターン」し、紆余曲折を経て2019年に愛子さんの実家であるユアーズコメヤの運営を承継しました。宮崎で中小企業診断士や事業再生マネージャーとして活躍しながら経営も行う馬場さんにお話を伺いました!

奥さんと一緒に「嫁ターン」


▲株式会社B’Sコンサルティング 代表取締役の馬場拓さんと妻で取締役の馬場愛子さん

馬場さんは大学卒業後関西の量販店で婦人服の販売業務に従事した後、衣料卸会社で仕入や売場作りなどのマネジメント業務に携わりました。2007年に中小企業診断士登録後、地元兵庫県でB’Sコンサルティングを立ち上げ、翌年宮崎にIターン。現在は延岡市に拠点をおき中小企業診断士として経営戦略や創業手続きなど経営者のサポートを行っています。

同じく中小企業診断士の資格をもつ愛子さんの出会いは、兵庫で馬場さんが独立したての頃でした。衣料業界に身をおいていた馬場さんと実家が衣料品店の愛子さんはすぐに意気投合!交際に発展します。

馬場さん「お付き合いをしているときに妻の父が脳梗塞で倒れ、妻が仕事を辞めて宮崎に帰ることになったんです。衣料品に携わってきた経験から手伝えることがあると思いましたし、遠距離恋愛になるくらいなら僕も一緒に行くわということで。付き合って約3ヶ月で婚約し翌年に宮崎で結婚しました」

理想と現実の間で味わった挫折

まさに愛のチカラで見知らぬ土地に飛び込んだ馬場さん。中小企業診断士が2人店に入るということで期待もかけられていました。ユアーズコメヤ日向店を手伝いはじめましたが、程なくして壁にぶつかります。

馬場さん「中小企業診断士の資格をもっていて経営全般の勉強はしていたし、仕入れや小売の仕事も7,8年やって業界のことも分かっていた。若かったのでそういう自負があり、もっと店をこういう風にしたらよくなるという構想や提案だけが先行していました。

でも都会と地方では客数や消費の数が全く違っていた。地方の現実と課題を思い知りました。当時は郷に入っては郷に従えの精神が持てず、40年この店一筋の義父や古株の幹部の方とぶつかっては精神的に参ってしまったんです。8ヶ月経った頃から家から出られなくなり会社を退職しました。宮崎で中小企業診断士として再スタート。Iターン2年目のことでした」

宮崎でコンサルティング事業をゼロから始めた馬場さん。はじめはツテもなく苦労しましたが、地道な営業の甲斐もあり、地域に根ざした丁寧なコンサルで徐々に仕事を軌道に乗せました。

このままいくと会社がなくなるんじゃないか

▲ユアーズコメヤ大貫店。現在はあえて1店舗に縮小することで業績を伸ばしている

馬場さんがユアーズコメヤを退いて3年経った頃から、店長を務める義妹の仕入れに同行するなど、間接的な関わりはするようになりました。そして2017年、専務として獅子奮迅の働きをしていた愛子さんが会社を離れることになります。

馬場さん「ふと思ったんです。この会社誰が継ぐんだろう。このままいくと会社がなくなるんじゃないかって。80年以上の歴史があって地元の方々にこれほど愛されているコメヤがなくなってもいいのかなと。あれ、僕なんのために宮崎に来たのかなと原点に戻ったんですよ。宮崎にゆかりがなかったのに今は地元の人とつながりが生まれて仕事ができてるのも、このお店があったからこそだなというところにようやく一巡しました」

馬場さんが選んだ方法は全株式の買い取り。義母が社長、義妹が店長という現状の役員体制は維持しながら、ユアーズコメヤはB’Sコンサルティングの100%子会社となり馬場さんがオーナーになりました。

馬場さん「三戸政和さんの著書“サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい”にも背中を押されました。会社を買うという方法があるんだなと。自分なりに期限を決めないと実行できないなと思ったので、すぐに三戸さんのサロンに入って“2月までに実行します”と多くの人の前で宣言しました」

10年前に一度ユアーズコメヤを去った経験も、今プラスに生かされてると言います。

馬場さん「僕も経営会議や取締役会、銀行の説明などに入っています。悪いところばかり見るのではなく、店舗のいいところはそのままに、改善すべきところは少しずつ変えていく。今考えると、 承継というのは相手の立場に立つことが大事。まずは相手の良いところを認め、自分たちを受け入れてもらうことを先にやならいといけないのだなと。

10年前より今のほうが、店の特徴や延岡の気質、お客様のことなど自分の目で見て理解しているので、それぞれの主体性を大切にしながらも自信をもって話せるようになりましたね」

糸が紡いでくれた運命

延岡で約70年間ずっと同族経営されてきたユアーズコメヤ。“家族だけれど血はつながっていない”馬場さんが経営に入るというのは、人知れぬ苦労も多々あります。

馬場さん「嫁ターンで帰ってきて経営を手伝っている男の人も結構たくさんいますが、やはり帰ってしまう人もいますね。そこは奥さんの存在が大きいと思うので、ウチの妻や家族は非常によくしてくれて助かってます。

同族だからこその支援や愛着もあったり、その反面変えていかないといけないこともあったり…。本当にたくさんのことを経験させてもらっています。本一冊かけるくらい(笑)」


▲馬場さんの実家『馬場商店』で使っていたと思われるのぼり

大変な状況のときにも馬場さんを支える信念。その根本は、馬場さん自身のルーツに隠されていました。

馬場さん「僕の実家は兵庫県三田市の商店街で糸屋を営んでいたんです。でも僕の祖母の代で廃業したんですよ。25歳のときに母が病気で亡くなってからは祖母と2人で暮らしていました。母は生前アパレルメーカーでパタンナーの仕事をしていて、家にミシンがあるのが当たり前、祖母も母も家で洋服を作っている環境で育ちました。

その影響で僕も衣料業界を志望して衣料卸の問屋で働いて、衣料品店の娘さんを嫁にもらった。宮崎にIターンして一度コメヤを離れて衣料品以外の仕事ももちろん受けたんですけど、やはり自分のルーツは“糸偏”※ だなと。僕はもっと衣料に貢献しなあかんのかなというのをずっと考えていて。衣料品の業界をもっとよくしていきたというのが軸にあります。そのためにもまずはコメヤを助けること、なくさないことだと思ったんですよ。

思えば延岡も旭化成の町で、僕がバイヤーをやっていた頃に旭化成のパンストをめちゃめちゃ仕入れて売ったこともあって。不思議ですよね。全部糸でつながっていたというか」

コメヤらしいやり方で、お客様と一緒に歩む

本業のコンサルティングを主軸にしながらコメヤの事業成長に力を注ぐ馬場さん。イトヘンの未来をしっかり見据えています。

馬場さん「お客様の層も高齢化してきているので、お店に来れなくなった人たちに対して商品を届けるということに力入れています。商品をライトバンに積んでスーパーの店頭や福祉施設などに売りに行くんです。同時に若い方に向けた品揃えも充実させないといけないので、義妹も一緒に仕入れ等の工夫を考えています。今の延岡はイオン一強の傾向がありますが、そこと同じ戦い方をしていてはダメだし、我々が求められるニーズに合った売り方をしていこうかなと。

もう1つは、この店舗を軸にしてモノづくりをやっていきたいですね。延岡でもパタンナーやデザイナーをやってた女の人が結婚を機に会社を辞めて独立していたり、小ロットで作れる工場もあったりするので、国産の製品にこだわったものづくりをしていきたいです。

今の悩みはコメヤに来る時間をもっと捻出すること。まだまだ足りないですね。承継してからなぜか急に本業の方も一気に忙しくなったんですよ。承継の相談も多いです。自分自身が承継したので課題を共有できることも増えました。会社と店と、相互作用でどんどん新たなことにチャレンジしていきたいです!」

宮崎でたくさんの経営者をサポートしながら自身も新しいことにチャレンジし続ける馬場さん。これからのユアーズコメヤに注目です!

文・齋藤めぐみ 写真・大橋基文

※糸偏・・・糸に関係のある産業、繊維工業のこと

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