秋田県湯沢市にある「ヤマモ味噌醤油醸造元」は1867年から続く老舗の蔵元です。7代目として家業を継いだのは髙橋泰さん。これまで、カフェの新設やパッケージを刷新して海外進出、最近では独自の酵母菌を使用してアルコール飲料への応用もはじめられ、数々の常識に囚われない活動を行なってきました。なぜこんなにも醸造業の従来の枠を超えて活動を行えるのか。その情熱の根源についてお話を伺いました。
味噌醤油の世界なんてダサい。だからこそ自分が変える
子供の頃、将来の夢に「醤油屋」と書いたことがなかった髙橋さん。特別、両親から継いでほしいという言葉をかけられたこともなく、ずっと旧態依然な家業を「ダサい」と思っていたそう。
しかし、兄妹の中で男は1人だけ。いずれは自分が継がないといけないという気持ちはずっと持ちつつも、中学生の頃から建築家を目指して大学まで進学。4年生の時に、大学院に進み建築の道を極めるか、大学に入り直して家業を継ぐために発酵の勉強をし直すのか悩んだそうです。
髙橋さん「家業を継ぐならば、秋田で暮らす。家業と建築家の道を両立させられるほど甘い世界ではないと考えていました。なによりも、自分が死ぬときに後悔するような選択はしたくなかったんです。継いで家業を潰してしまったら諦めはつくけれど、継がずに潰れたら罪の意識が出る。継がずに家業を潰すことに納得がいかない自分がいました」
継ぐことを決意して秋田に帰ってきたものの、家業に通勤はなく、家庭と仕事とのオンオフの切り換えが難しい環境。自由に使える時間が少なく、入社したてで居場所もない事に対するストレスが募って両親と衝突。心のどこかで、親のせいにして過ごす時期が1年ほど続いたそう。過去を反復する作業に子供の頃から抱いていた「味噌醤油屋なんてダサい」というイメージは、継いでからも数年変わらなかったのです。
しかし、そのイメージを持っているからこそできる事が髙橋さんにはありました。
髙橋さん「仮に、今から一生、味噌醤油屋さんだって言われてどう思いますか?僕は「ダサい」と今でも答えます。全国的に見ても味噌醤油屋の新規参入がないのは、他の産業に比べて魅力がないということ。残念ながら私達の業界は現状、そのような一般認識だと思っています。
業界の価値観から考えても、過去の製法や過去の反復に最大の価値を置くと、新規参入者には分が悪くなります。過去の製法にも現在の取り組みにも、双方に価値を見出すことをしないといけません。一方で海外では、ヨーロッパを中心にクラフトの若手味噌醤油屋が出現しています。彼らは常識に囚われることなく新たな製品を生み出しています。世界では味噌醤油の認識が変わろうとしているんです。
そのままダサいと思いながら継ぐのでは意味がない。自分で決めて進んできた道だから、自分が『ダサくない』と思えるような産業にすればいい。自分にはその使命があると考えています」
孤独の10年。会社のリブランディングで伝統産業を新たな価値を
家業を「ダサくない」産業にしようとした髙橋さん。元々海外展開を視野に入れていたため、海外でも販売できるようにラベルは日英表記、外国語対応のHPも作成したりと、会社全体のリブランディングを自ら行いました。
髙橋さん「何か新しいことを始める時に気をつけていること、それは「過去を見直す」ことです。今あるものには必ず過去からの流れがあって、その流れの中には変わらないものがある。過去を否定して前に進むのではなく、リスペクトしたうえで、新しい価値を築くように心がけています。
味噌醤油は自分たちが作ったものではありません。味噌醤油屋は、昔から作られてきた伝統を売る商売だと思うんです。海外にどうやったら売り出せるかと考えたときに、歴史ある蔵元で醸造した味噌と醤油だからこその付加価値をつけることができます。伝統を再構築し、リブランディングしていく。そうすることで海外展開はできると信じていました」
髙橋さんが継いでから2年目で台湾と取引が始まり、5年目で本格的に海外と取引することに。経営者自らがリブランディングを行っていることが評価され、2013年にはグッドデザイン賞を受賞されました。
7代目として、社外からみれば順調な滑り出しをしていた高橋さん。しかし社内はそう上手くは行きませんでした。大学卒業後、一番の若手ながら経営陣の1人として入社した髙橋さん。古くから勤めてくれている年上の方々をまとめなければなりませんでした。髙橋さんは日々のルーティン作業に追加して、従業員の方々には売上アップのための企画や社内業務効率化のための意見を求めるなど、仕事をよりクリエイティブにするための工夫を施しました。その環境の変化に付いていけない30〜40代の従業員が、毎月のように辞めていく時期があったそうです。
その当時、人材の問題で「家業を潰してしまう」と思い、一番心が疲弊していたと言います。
髙橋さん「日々の生活にクリエイティブ要素があった方が、従業員の皆さんも楽しくなるはずだと当たり前のことのように思っていました。しかしそうではなく、逆に辛いと感じる人もいたんです。自分の行動が他の社員さんに理解されていないことは分かっていましたが、一時期の人が辞めていく流れは結構心にきましたね。
それでも、ここで妥協してしまったら自分の目指すところまで産業を進化させることはできないと思い、強い気持ちを持って過ごしました。10年ほど経ってからですね。やっと自分の本心をわかってくれる人が出てきました」
両親の反応は世間の反応。お客様を通してやりたいことを伝える
従業員はおろか、一番身近な両親でさえも理解してもらうのに時間がかかったそう。
活動家を呼び込むことで地域活性化に繋げたり、地域や社員の刺激にもなればと思い、カフェスペースを設置しようとした高橋さんに両親は反対。今では入り口に味噌醤油屋のイメージとはかけ離れたようなビビットカラーの現代的なアートが飾られ、机や椅子はアンティークの家具。仏間もイートインスペースとしても使用できるつくりになっていますが、それには高橋さんなりの理由がありました。
高橋さん「これまで両親は理解できないながらにも見守ってくれていましたが、古くからある仏間もカフェスペースとして使用すると言った時は『仏間を他人に見せるなんて』と反対されました。しかし反対を押し切ってカフェを開設した結果、お客様からはいい反応をもらうことができました。
決して古くからのお客さんを無視してるわけではないんです。たとえば、パッケージは新しくデザインしましたが、古くからある一升瓶の醤油のラベルはそのままにしてある。新しいことに対して父親がなんて言ってくるかは、オールドユーザーへの印象のテストにもなると思っています。最初は反対されても、お客様の反応で両親の考えが変わることもある。お客様を介して両親の同意を得る流れは板についてきましたね」
子供の頃の自分が「継ぎたい」と思うような魅力ある産業へ
お客様の反応と高橋さんの働きかけによって、ご両親は今では仏間の説明までするようになったそうです。これまでの味噌醤油の蔵元の概念に囚われない活動を続け、最近はどんどん若い社員を増やしているというヤマモ味噌醤油醸造元。
伝統的なつくりから革新的な取り組みを体験できる蔵内の見学ツアーをはじめ、近年では試験醸造から旨味を醸造する独自の『Viamver®(ヴィアンヴァー)酵母』(特許出願中)を発見し、日本醸造学会で発表。世界でも類を見ない味噌由来酵母でナチュラルワインの醸造に成功するなど、同酵母をアルコール飲料への展開も始めています。また、酵母の研究・開発チームである『ASTRONOMICA®(アストロノミカ)』を組成し、すべての料理にViamver®酵母を利用したフルコースの提供を開始。この秋には、同酵母による製品群をアムステルダムの展示会で発表し、独自の酵母菌によるブランディングに取り組む蔵元として歩みを進めます。
さらに、地元地域活性化の取り組みも進めています。開発チームのASTRONOMICA®には国内外のシェフや研究者のみならず、外部から建築家やアーティストが参画し、地域に様々な活動を生み出しています。直近では、外部のプロフェッショナルチームとインターンの高校生や大学生を組織し、耕作放棄地を畑として復活させ、地域の人々に開いていくコミュニティガーデンプロジェクトを開始しました。この実験的取り組みから、その応用を地元全域に拡張し、耕作放棄地をゼロにすることを目標に、地域の持続可能性を追求しています。
髙橋さん「味噌醤油の蔵元だからといって、昔と同じ事をしていたらいつかは衰退します。既成概念に囚われず、普遍性のあるものを実現していき、子供の頃の自分が今の自分を見て『継ぎたい、やりたい』と思うような魅力的な産業にしていきたい。過去から続く日本の伝統に個人のクリエイティブを掛け合わせることで、新しい価値を世界に提案できることを示したいと思います」
文・津川千穂