料理人や海外から評価の高い、奇跡の焼き物「龍爪梅花皮」。技術を受け継ぐ後継者を募集
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東には琵琶湖の水面が広がり、西には比良山地の木々がすぐそばに迫る滋賀県大津市。そんな風光明媚な一角に、日ノ出窯はあります。ここで焼かれているのは、上品さと力強さを併せ持った「龍爪梅花皮(りゅうそうかいらぎ)」です。
ほかに例を見ない作風と独自の販売のノウハウを積み、海外進出にも成功するなど日ノ出窯は好調です。ただ、窯主(かまぬし)の岩崎政雄さんは69歳になりました。この龍爪梅花皮のノウハウを習得し、窯主を引き継いでくれる人を探しています。
古民家に移り住んで27年。龍爪梅花皮を生み、育ててきた岩崎政雄さん(右)、三知子さん(左)ご夫妻
優美な白と力強いちぢれが美しい「龍爪梅花皮」
釉薬(ゆうやく)が窯の中で溶け切らずに縮れたようになり、表面が鮫肌(さめはだ)状になったものを「梅花皮(かいらぎ)」といいます。偶然の産物で、焼き物の種類によっては味わいのひとつとされてきました。茶道具の用語でいえば、いわゆる「景色」の一種です。
わざと器全体に釉薬の縮れを起こさせ、縮れの奥に赤か黒の地を見せるのが「龍爪梅花皮(りゅうそうかいらぎ)」です。「龍が爪でひっかいたような大胆な梅花皮」ということで名付けられました。縮れ具合の大小は調整できますが、「龍爪」がどこに入るかは窯から出すまでわかりません。文様は炎と釉薬が自分たちで作り出すのです。
「暴れたいだけ暴れさせてみよう」。発想の逆転で生まれた龍爪梅花皮
この道、50年
国内の日用陶磁器の生産額は1990年代がピークで、その後は減り続けています。原因として「生活様式の変化」「長期の不況による内需の不振」「100円ショップの登場」などが指摘されています。
京焼・清水焼の系統の製品を中心にしていた日ノ出窯も例外ではなく、売り上げが減っていました。釉薬の扱いに自信のあった政雄さんは、打開策として新しいタイプの陶器に取り組みます。しかし、何度試作しても、その陶器にとっては邪魔になる梅花皮ができました。
「そんなに“暴れる”のならば、もういい。暴れたいだけ暴れさせてみよう」と発想を逆転させて、釉薬を配合しました。そうやって誕生したのが、龍爪梅花皮です。2008年のことでした。
超一流ホテルからの高い評価で道が開ける
母屋の一角は、古い建具も棚の背部に生かし、ギャラリーになっている
ほかにも梅花皮のある製品を手がける陶芸家はいます。しかし「乳白色の肌で作ることができる」「釉薬の配合次第で、縮れの大きさを自在に調整できる」という点で、ほかには例のないものだといいます。
しかし、当時はあまりに新しすぎて、なかなか受け入れてもらえませんでした。これを変えたのが、奥さんの三知子さんでした。作陶展を企画・開催したり、SNSで発信したりしはじめました。
三知子さん「いいものを作っている陶芸家はたくさんいると思うんです。しかし、作るのと売るのは全く別の仕事です。岩崎は職人気質で、売ることには関心がありません。私もずっと専業主婦でした。しかし、ほかに売るための努力をする人はいません。みんなに知ってもらえるように、売れるようにと、私が動き回りました」
築250年の母屋でいただく「日ノ出窯ランチ」。用意できるのは月に数日で、受け入れ人数も限られているため、予約はすぐに埋まってしまう。器はもちろん、龍爪梅花皮だ
そして、ザ・リッツ・カールトン京都の三浦雅彦料理長の目に留まったのが、躍進のきっかけになりました。京都・鴨川沿いにあり、星の数による格付けの草分け『フォーブス・トラベルガイド』では、2018年度版以降4年連続で5つ星を獲得する一流ホテルです。三浦料理長がホテルの食器に採用したのは2014年で、龍爪梅花皮の誕生から6年がたっていました。
以来、料理人たちの間で、評判が口コミでも広がるようになりました。今では、琵琶湖ホテルや琵琶湖マリオットホテル、ロテルド比叡など、京都と大津を中心に有名ホテルや一流料亭でも採用されています。2016年には香港、その2年後には台湾でも販売を開始しました。
2019年には三知子さんが社長となって、日ノ出窯をサポートする株式会社みちこアソシエイツを設立しました。日ノ出窯を会場に、ランチは曜日を決めて定期的に開き、陶芸教室も常に受け付けています。「ここまで足を運んでもらい、龍爪梅花皮を見てもらい、実際に使ってもらうのが目的です」
窯を任せることができ、作陶に集中してくれる人に来てほしい
作業場での政雄さん
龍爪梅花皮は今や、政雄さん一代で終えてしまうのが惜しい人気です。三知子さんを中心にプロデュースやブランディングのノウハウも積みました。「政雄さんの気力・体力があるうちに後継者に来てもらって、龍爪梅花皮を伝授する。そのまま日ノ出窯を任せたい」がお二人の望みです。
三知子さんは「『やる気のある方』が1番の条件で、それさえあればいいとも思うのですが」と断りながらも、次のような人とのご縁を期待しています。
三知子さん「できれば陶芸の基礎はすでにできている方がよいと思います。販売については、引き続きみちこアソシエイツが担当します。そのほうが作陶に集中できると思いますので。たとえば後継者の方のパートナーに、販売のノウハウをお教えすることも可能です。龍爪梅花皮を続けるのが条件ですが、並行して自分なりの作風に挑戦してもらうのはもちろん問題ありません」
陶芸窯はガス式で、2、3人で使うのに十分な大きさがある
ロケーション最高、母屋は国の登録有形文化財の日ノ出窯
政雄さんは1952年の生まれで、埼玉県出身です。「何でもいいから、ものを作る人になりたい」と高校卒業後、あてもないのにヒッチハイクで京都にやってきて、京都府宇治市炭山の窯元に弟子入りしました。炭山は、清水坂などにあった窯元が1960年代から移転先に選び、政雄さんが来たころには京焼・清水焼の一大産地になっていました。
その後、政雄さんは独立し、宇治市出身の三知子さんと結婚もして市内のほかの場所で自分の窯を持っていました。その時に、趣味の釣りで何度も訪れていたのが、日ノ出窯のあるあたりです。風景にほれこんで、周辺で移転先を探していたところ、古民家が見つかりました。1995年のことです。
湖岸からは約350メートルで、比良山地の打見山(うちみやま)・蓬莱山(ほうらいさん)の山すそに当たります。付近からは琵琶湖の対岸まで見通せ、朝日も拝むことができることから、「日ノ出窯」と名付けました。
日ノ出窯の背後にはせり上がるようにして打見山と蓬莱山があり、冬にはふもとまで雪景色になることがある
この風景には歌川広重も注目したのか、ほぼ同じ形の山々が『近江八景 比良暮雪(ひらのぼせつ)』として浮世絵になっている。広重の代表作のひとつだ
また、母屋は「約250年前の江戸末期に建てられた。間取りなどに滋賀県南部の農家住宅の特徴が残る」として、2019年、国の登録有形文化財に指定されました。窯と作業場もその母屋に隣接しています。
打見山・蓬莱山の山頂付近には「びわ湖バレイ」があって、冬はスキー客、夏は涼しさを求める行楽客でにぎわいます。直近の琵琶湖岸は夏には水泳場になり、企業の保養所も少なくありません。この地は、大阪や京都の人たちが憩いを求めて来るところなのです。
憩いの地で、陶芸家としての新しい生活のチャンス
最寄り駅のJR湖西線・志賀駅周辺。琵琶湖岸には松林が広がり、夏には水泳場になる。右上に見える家々の一角に、日ノ出窯はある
三知子さん「岩崎が修行し、独立したころは高度成長期で、焼き物も作れば売れました。しかし、今は違います。陶芸家が『そろそろ独立して、自分の窯を持ちたい』『すでに独り立ちしているが、思い切って今の状況を変えたい』と考えても、不安ばかりではないでしょうか。日ノ出窯の後継者は、そういった人たちに選択肢のひとつにしていただきたいです。幸いにも活気のある窯元に育てることができました。周辺も、物作りの人が働くにも住むにのいい環境です。ぜひ一度見に来てください」
夫婦二人三脚で「龍爪梅花皮」を押し上げてきたお二人。ロケーションも抜群の日ノ出窯で、新しい歴史を刻んでみませんか?
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