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「まぼろし商店」の株式会社ミナデインが閉店後も味を承継したい、レシピ提供者を募集!味とともにお店の思い出まで残します!

東京・神田のオフィス街で60年間愛されてきた洋食屋「キッチンビーバー」。2020年10月、多くの人に惜しまれながら看板を下ろしました。
しかし、その人気メニューの一つであるメンチカツが東京・新橋の居酒屋「烏森百薬」にて復活。
それを支えたのが、株式会社ミナデイン 代表取締役の大久保伸隆さんです。
大久保さんは、閉店を余儀なくされた地域の名店メニューを受け継ぎ、再現するプロジェクト「まぼろし商店」を始動。レシピを預けたキッチンビーバーのママ・高木カヅ子さんは、まぼろし商店の取り組みに大変助けられていると言います。
今回、まぼろし商店にレシピを託してくださる事業者を募集しています。
閉店したお店のレシピを集め、自社の飲食店で承継
東京・神田で愛された洋食屋「キッチンビーバー」は、高木カヅ子さん(通称・高木ママ)と旦那さんの2人で60年間大切に育ててきたお店。
しかし、旦那さんの体調が悪くなりお店に立てなくなったことで、しばらくの間は高木ママが一人でお店を切り盛りしていました。
▲株式会社ミナデイン 代表取締役 大久保伸隆さんと「キッチンビーバー」高木カヅ子さん

高木ママ「主人が入院してから約4ヶ月は『絶対にこの店は閉めたくない』と思って、なんとか1人で続けていました。でも気持ちに身体が追いつかず、腰を圧迫骨折してしまい、お店を辞めることを決断しました」
そんな状況を知り、「キッチンビーバーのメンチカツを残したい」と思った常連客の一人が頼ったのが、飲食店を経営する株式会社ミナデイン 代表取締役の大久保さん。
もともと自身にも“「また食べたい」がもう叶わない、思い出深いメニュー”があったことから、地域の名店を残す方法はないかと構想を練っていたこともあり、すぐに高木ママに会いに行きました。
そこで話したのは、お店そのものを受け継ぐのではなく、レシピだけを預かるスタイル。レシピを再現・保存し、販売することで、店主に売上の一部を還元するという構想を伝えました。
当時の大久保さんについて、高木ママはこう振り返ります。
高木ママ「大久保社長とは初めましてだったのに、スニーカーでラフな格好をしていたので、少し警戒しながら話を聞きましたよ(笑)キッチンビーバーで人気だった生姜焼きを作って彼に出したところ、その場でぺろっと平らげてくれて。『美味しいと思ってくれたんだな』と安心しました」
そうして高木ママは、ご主人と60年続けてきた大切なお店の味をまぼろし商店に託すことを決断。自ら大久保さんに「私、まだ働きたいんです。メンチカツを自分で作りたい」と伝え、一緒にお店で働くことになったと言います。
レシピの外側にある付加価値をどれだけ残せるか
キッチンビーバー名物のメンチカツが復活することになったのは、東京・新橋の居酒屋「烏森百薬」。直径12cm、厚さ3cmもあるメンチカツは、今もなお、昼夜問わず人気のメニューです。
縁あって、キッチンビーバーが以前あった場所の斜め向かいの居酒屋でも提供されており、当時の常連客から新しいお客様まで幅広く愛されるメニューとなっています。

メンチカツのレシピ再現について、高木ママはこう語ります。

高木ママ「メンチカツを再現する際は、材料から機材まですべてミナデインさん側が揃えてくれました。使用する挽肉は以前から変更したりもしましたが、厨房環境などが違っても違和感なく作ることができました」
各メニューは高木ママの感覚で作っていた部分も多くあったため、各調味料の分量を計り数字に起こす作業を、ミナデインの社員と一緒にやっていきました。
大久保さん「レシピをアルゴリズム化すれば味はいつでも再現できると言われますが、思い出って味だけではないと思います。店の雰囲気やお皿など、レシピの外側にあるものをどれだけ残せるかが重要で、そこに対する熱意はうちが一番あると自負しています。メンチカツが『美味しい』とか『不味い』などはその人が決めることですが、『懐かしい』という感覚は共通だと思っています。ビーバーで使っていたお皿もそのまま持ってきて、今もそれでお客様に出しています。ステンレスのお皿でメンチカツが出ると、『昭和だ、懐かしい!』と思うみたいですね」
閉店時にキッチンビーバーの看板も引き継ぎ、今も大切に保管しているという大久保さん。
地域の名店メニューがたくさん揃い、いつか「まぼろし商店」が飲食店としてオープンした暁には、各名店の看板を店内に飾る構想を練っています。
愛された味とともにビジョンや想いの承継を大切に